(このテーマについての、別テーブルでの対話の記録はこちら)
趣味、仕事、推し活、あるいは研究。何かに「熱中」している人の姿は、輝いて見えます。しかしその一方で、熱中しすぎるあまり、周りが見えなくなったり、生活のバランスを崩してしまったりする危うさも、私たちは知っています。
「熱中すること」は、私たちに何をもたらし、何を奪うのでしょうか?
ある参加者は、熱中しすぎることの「良さと悪さ」を、具体的なエピソードで共有してくれました。
「僕は日本酒が大好きで、もう7〜8年になります。熱中した結果、知識は深まりましたが、今では1杯5,000円のお酒を『安い』と感じるようになってしまって…。金銭感覚が完全にバグっている自覚はあります。そのせいで、他のこと(例えばご飯)にお金を使えなくなることもあり、これは良くない熱中だなと」
この強烈な例えから、対話は「熱中=ピント合わせ」という、非常に興味深い視点へと進んでいきました。
熱中とは「カメラのピントを合わせる」こと
ピントが合うからこそ、他はぼやける
「熱中」の状態について、ある参加者が「カメラのピント」という秀逸な比喩を提示してくれました。
「カメラで何かにピントを合わせる時、当然ですが、それ以外の背景はぼやけますよね。熱中するというのは、これに似ている気がします。一つのことには深くピントが合っているから、その良さや詳細がハッキリ見える。でも、それ以外のものは意識的にぼかしている(あるいは、見えなくなっている)状態なんです」
確かに、この「ピント合わせ」の感覚は、熱中の光と影の両面を的確に表しています。
光の側面:ピントが合っているからこそ、物事の本質や、普段は見えない深い魅力に気づくことができる。 影の側面:それ以外の視野が狭くなり、日本酒の例のように「金銭感覚」や「生活のバランス」といった他の大切なものが見えなくなる。
この比喩は、別の参加者が共有した「喪失感」の話にもつながりました。
熱中が途切れた時の「喪失感」
「小学校からずっとサッカーに熱中していました。僕にとってサッカーが全てで、プロを目指していた時期もあります。でも、ある時『あ、これは無理だ。レベルが違いすぎる』と限界に気づき、折れてしまったんです」
彼が語ったのは、熱中していた対象が目の前から消えた時の強烈な喪失感でした。
「それまで人生の全てだったピントが、急になくなってしまった。そうなると、何にピントを合わせればいいか分からなくなる。熱中している時は一番楽しかったけれど、それしかない状態は、とても脆(もろ)いんだなと痛感しました」
一つのことにピントを合わせ続けることは、深い充実感をもたらす一方で、それが失われた時のリスクも同時に高めてしまうのです。
一つの道を極めると「本質」が見える?
では、ピントを合わせ続ける(熱中する)先には、何があるのでしょうか。対話は、異なる分野に共通する「本質」というテーマへと移っていきました。
宮本武蔵は、なぜ絵も上手かったのか
ある参加者が、宮本武蔵のエピソードを紹介しました。
「宮本武蔵は剣の道を極めた達人ですが、同時に水墨画など絵画においても非常に高い才能を発揮したと言われています。これは、彼が武術と絵画を別々に学んだというより、武術という一つの道を極めていく中で、物事に共通する『本質』のようなものを掴み、それが絵という別のジャンルにも応用されたのではないか、と」
この話に、日本酒に熱中している参加者が強く頷きました。
「すごく分かります。日本酒の勉強をしていると、だんだん『ワインのこういう部分が良いと評価されるんじゃないか』とか『焼酎ならここがポイントだろうな』というのが見えてくるんです。一つの食材や料理を深く知ることで、食全体の本質に近づいていく感覚があります」
熱中してピントを合わせ続けることは、単にその分野に詳しくなるだけでなく、他の分野にも通底する「型」や「心理」、「構造」といった“本質”を掴むトレーニングにもなるのかもしれません。
熱中を続ける秘訣は「比較」から降りること
対話の後半、ある参加者が「4年間、毎日欠かさず続けている」というギターの引き語りについて話してくれました。その熱中の仕方は、これまでの議論とは少し異なるものでした。
「いいね」が欲しくない熱中
「私はもともと歌うのが好きでしたが、ある配信アプリで同い年の人たちがキラキラと歌っているのを見て、『私もやっていいんじゃないか』と思い、ギターを始めました。今ではアコースティックギターだけでなく、クラシックギター、ピアノ、ウクレレと、どんどん楽器が増えています」
彼女が語ったのは、純粋な「楽しい」という感情でした。しかし、その熱中の仕方がユニークだったのは、次の点です。
「音楽仲間の多くは『たくさんの人に聞いてほしい』『いいねが欲しい』と、他者からの評価を求めます。でも、私にはそれが全くないんです。Twitterも鍵アカウントですし、誰かに聞いてほしいというより、ただ自分がやりたいからやっている。だから、再生数や“いいね”の数で悩むことが一切ありません」
「プロセス」そのものを楽しむ
このエピソードは、私たちに熱中の「動機」について重要な示唆を与えてくれました。
熱中の動機には、大きく分けて2種類あります。
- 目標達成型:プロになる、試合に勝つ、人より上手くなる、評価される。
- プロセス型:やっていることそのものが楽しい、探求が面白い。
サッカーでプロを諦めて挫折した例は、前者の「目標達成型」であり、他者との「比較」の中で生まれる熱中です。一方、ギターの例は後者の「プロセス型」であり、他者との「比較」の土俵から降りているからこそ、純粋な楽しさが持続しているように見えます。
もちろん、どちらが良いというわけではありません。競争がモチベーションになる人もいます。しかし、「比較」に疲れず、長く熱中を続ける秘訣は、「プロセス」そのものを愛することにあるのかもしれません。
ピントをぼかす勇気。「目的のない時間」の価値
対話は最後に、思いがけない方向へと着地しました。「熱中(ピントを合わせる)」とは真逆の、「ピントをぼかす」ことの価値についてです。
役割(名刺)を降ろして、ただ集まりたい
ある参加者が、ふとこんなことを漏らしました。
「最近、意味のない集まりに参加したい、と思うんです」
「哲学カフェも『対話』という目的があるし、日本酒の会も『酒を味わう』という目的がある。社会人になると、何かしらの目的や共通項がないと集まれません。でも、そうじゃない集まりが欲しい。学校の教室みたいに、特に目的はないけど、行けば誰かがいる。喋ってもいいし、喋らなくてもいい。そういう時間が欲しいんです」
この発言の背景には、「役割」から解放されたいという強い願望がありました。
「会社の名刺をもらった時、『自分はこの会社でこういう立場の人間なんだ』という役割が決まった安心感と、同時に責任を感じました。でも、時にはその『会社員の自分』『父親の自分』『哲学カフェの参加者』といった役割(ピント)を全部降ろして、ただの人として存在したい。ピントをぼかしたいんです」
言葉というピントを外す
この「ピントをぼかしたい」という感覚は、「言葉」にも通じると、別の参加者が応じました。
「僕は言葉にするのが得意な方だと自認していますが、最近、言葉にすることの限界を感じています。言葉にするということは、その瞬間に感じた複雑な感覚から、何かを削ぎ落として『コップ』のような一つの記号にまとめることです。その言葉というフィルター(ピント)を通さず、世界をありのまま捉える感覚を取り戻したい」
熱中してピントを合わせ、物事の本質を探求することも素晴らしい。しかし同時に、そのピントを意識的にぼかし、役割や言葉から解放された「ただそこにある」状態に身を置くこと。
その両方のバランスが、人生を豊かにするのかもしれません。
まとめ:ピントを合わせる時間と、ぼかす時間
今回の哲学カフェでは、「熱中」というテーマが「ピント合わせ」という見事な比喩によって多角的に探求されました。
熱中できるものがあることは、人生に深い充実感と、「本質」への洞察を与えてくれます。
しかし、一つのことにピントを合わせ続けることは、視野を狭めたり、他者との比較で疲弊したり、バランスを崩したりする危うさも持っています。
大切なのは、筋肉と同じように、ピントを「合わせる」機能と「緩める(ぼかす)」機能を、意識的に切り替えることなのかもしれません。
何かに深く熱中する時間。そして、目的や役割から離れ、ただ風の音を聞くような、意味のない時間。
あなたも、その両方のバランスを、少し意識してみてはいかがでしょうか。
(このテーマについての、別テーブルでの対話の記録はこちら)

