私たちは毎日、当たり前のように「食べて」います。しかし、その「食べるとは」という行為の本当の意味を、深く考えたことはあるでしょうか。
今回は、この日常的かつ深遠なテーマ「食べるとは」をめぐり、参加者の皆さんと多様な視点から対話を繰り広げました。
単なるエネルギー補給や空腹を満たす行為としてだけでなく、生命科学の視点、ウェルビーイングの視点、そしてコミュニケーションの視点から「食べる」ことを見つめ直した、刺激的な時間の模様をお届けします。
「食べるとは」新たな視点:栄養素から微生物の「取り込み」へ
今回の哲学カフェで、特に議論の核心となったのが、ある参加者(浜中さん)の体験に基づく視点でした。
彼は数年前にメンタルと体調を崩した経験から、健康、特に「食」について深く考えるようになったと言います。
最初は「栄養素」だった
当初、彼の関心は「どの栄養素を摂るか」という点にありました。 不足しがちな栄養をサプリメントで補ったり、腸内環境を整えるためにヤクルトのような特定の乳酸菌飲料を飲んだりする。いわゆる「健康に良いとされるもの」を足していく考え方です。
しかし、農業学校に通い始めたことで、彼の視点は劇的に変わります。
「土」と「微生物」の世界
農業学校での学びの中心は「土」でした。 「土が超大事」であり、薬に頼らず「土をどう整えるか」を考える中で、彼は土壌に存在する無数の「微生物」の働きに魅了されます。
微生物の世界を調べるうち、彼は非常に興味深い事実に突き当たります。それが「遺伝子の水平伝播」です。
- 垂直伝播:一般的な生物(人間など)が、親から子へと遺伝子を受け継ぐこと。
- 水平伝播:微生物が、世代交代(出産)を経ずとも、他の生物の遺伝子の残骸などを自身に取り込み、新しい機能を獲得すること。
この「水平伝播」というメカニズムを知ったとき、彼は「食べるとは」についての認識が大きくアップデートされたと語ります。
「食べるとは」= 外界の遺伝物質を取り込むこと
私たちの健康、特に腸内環境は、多様な微生物なしには成り立ちません。 「食べる」という行為は、単に栄養素(タンパク質、炭水化物など)を摂取することだけではないのではないか。
「多様な微生物を自分の中に取り込み、その微生物が外界の機能(遺伝子)を獲得することで、自分自身の環境への適応性を高めているのではないか」
この視点に立つと、「食べる」は食事という行為にとどまらず、もっと上位の概念、すなわち「自分の外にあるもの(遺伝物質や機能)を絶えず取り込むこと」そのものになります。
腸内細菌の多様性は、PCでいう「プラグイン」や「アドオン」の数のようなもの。様々な機能を追加(インストール)することで、本体(自分)の可能性を拡張していくイメージです。
例えば、有機農業で育った野菜を食べることは、その野菜が持つ栄養素だけでなく、その野菜が育った豊かな土壌環境、つまり野菜に付着している多様な微生物群(生態系)そのものを取り込むことにも繋がります。
「食べる」は、自分の周りの環境を作るところから始まっている——。これは、今回の哲学カフェで得られた最も大きな気づきの一つでした。
多様な「食べるとは」:幸せの手段であり、コミュニケーションの最強ツール
もちろん、「食べるとは」の答えは一つではありません。他の参加者からも、それぞれの視点に基づいた「食べる」の定義が語られました。
視点①:手っ取り早く「幸せ」になれること
ある参加者は「食べるとは、手っ取り早く幸せになれること」と表現しました。
「例えばラーメン。1000円で明確な幸せを感じられる。こんなにコストパフォーマンスが良い行動は他にない」
明日は休みだからニンニクをたくさん入れよう、と想像するだけで幸せになれる。深く考える以前に、私たちを瞬時に満たしてくれるのが「食」の持つ偉大な力です。
視点②:最強の「コミュニケーションツール」
別の参加者からは「コミュニケーションツールとして優秀すぎる」という視点も出ました。
「飲みに行く」「お茶する」「ご飯行こう」
私たちは、誰かと話したい、会いたいという目的のために、「食べる」という口実をあまりにも頻繁に使っています。もし食事という文化がなかったら、私たちはどうやって関係性を築いていたのでしょうか。
美味しいものを食べながら時間を共有する。ただ会って話すだけでは得られない、深い満足感と繋がりを「食」はもたらしてくれます。
「食べる」のバランス:栄養素、筋肉、そして遺伝子スイッチ
対話はさらに深まり、これらの異なる視点をどう統合していくかという点に移っていきます。
栄養素の世界と微生物の世界
「筋肉を作るために、タンパク質の摂取量を意識している」という参加者もいました。これはまさに、特定の栄養素を意識する世界です。
一方で、微生物は人間の体内でビタミンを合成することもあります。私たちが直接作り出せないものを、取り込んだ「プラグイン」が補ってくれるのです。
どちらか一方ではなく、両方のバランスが重要です。必要な栄養素(ミネラルなど、体内で生成不可能なもの)をしっかり摂ること。同時に、それらを効率よく吸収・活用するために、腸内細菌という「プラグイン」の多様性を豊かにすること。
食べ物が押す「遺伝子のスイッチ」
また、エピジェネティクス(後成学)の話題も上がりました。 これは、私たちの遺伝子(設計図)そのものは変わらなくても、食べ物や生活習慣によって、どの遺伝子をオンにし、どれをオフにするかという「スイッチ」の入り方が変わる、という学問です。
「長寿遺伝子をオンにする」といった話も、この文脈で語られることがあります。
私たちが「食べる」ものは、単に体を作る材料になるだけでなく、私たちの遺伝子の働き方、すなわち「どう生きるか」というプログラムの実行にまで影響を与えているのです。
まとめ:「食べる」は目的であり、手段でもある
今回の哲学カフェを通じて見えてきた「食べるとは」。
それは、「生きるための手段」であると同時に、「幸せや楽しみという目的」そのものでもありました。
そして、それは私たちが思う以上にダイナミックな行為です。
食べるとは、「私」と「私の外の世界」との境界線で起こる、最も根源的なコミュニケーションなのかもしれません。私たちは食べ物という「異物」を取り込み、それを分解し、自分自身の一部として再構築する。時には、コーヒーのポリフェノールのように、あえて「異物」を取り込んで排出するプロセスを活性化させ、健康を維持することさえあります。
人間が親から受け継いだ遺伝子(垂直伝播)だけで全てが決まるのではなく、食事を通じて外部の機能(水平伝播)を柔軟に取り込み、自分を「拡張」していける。そう考えると、日々の食事がもっと楽しく、クリエイティブな行為に思えてこないでしょうか。
あなたは今日、何を食べますか? そして、その「食べる」という行為に、どんな意味を見出しますか?
次回の哲学カフェでも、皆さんと深い対話ができることを楽しみにしています。


