なぜ楽しい時間は一瞬なのか?「時間の感じ方」を深掘りしてみた。その2 (2025/11/8)

この記事の目次

こんにちは、哲学カフェ主催の編集部です。

「あれ、もうこんな時間?」
「この1週間、一瞬で過ぎ去った気がする…」

皆さんは日常の中で、時計の針とは異なる「自分だけの時間の進み方」を感じることはありませんか?

今回の哲学カフェでは、そんな誰もが一度は不思議に思う「時間の感じ方(体感時間)」をテーマに対話を広げました。集まったのは、エンジニア、営業、投資家など多様なバックグラウンドを持つメンバーたち。

「1分」は世界共通のはずなのに、なぜ私たちの心の中では伸び縮みするのか。心理学的な法則から、脳内物質、さらには沖縄時間まで飛び出した、刺激的な朝の対話の様子をレポートします。

なぜ年を取ると「1年」が早く感じるのか?

対話のきっかけは、ある参加者の「2週間のプロジェクトが一瞬で終わった」という一言から始まりました。そこから話題は、年齢とともに加速する時間の感覚へ。

ルーティン化された日常と「ジャネーの法則」

参加者からは、時間の経過が早く感じる理由として「ルーティン(慣れ)」が大きく関係しているのではないか、という意見が出されました。

「学生時代の3年間はあんなに濃くて長かったのに、社会人になってからの3年はあっという間。これは結局、『新しい経験』の密度が違うからではないか?」

これは心理学でいう「ジャネーの法則」に近い感覚です。子供の頃は毎日が未知の体験(新しい刺激)の連続ですが、大人になり仕事がルーティン化(参加者は「ベルトコンベア」と表現していました)すると、脳が処理すべき新規情報が減り、振り返ったときに記憶のフックが少なくなるため「短かった」と感じるようです。

一方で、毎日新しいアポイントや投資の勉強で脳をフル回転させているメンバーからは、「その瞬間瞬間は必死で早く感じるけれど、振り返るとすごく長い時間を過ごしたように感じる」という興味深い反論も。「充実した密度の濃い時間」は、記憶としては長く残るのかもしれません。

「東京の5分」と「沖縄の5分」は違う?

議論が特に白熱(そして迷走?笑)したのは、環境による時間感覚の違いについてです。

あるメンバーが大学時代の心理学の授業で見たという実験の話をしてくれました。
「5分経ったと思ったら合図をしてください」という実験をすると、せわしない東京の人は3分程度で手を挙げ、ゆったりした沖縄の人は8分くらい経ってから手を挙げる、という話です。(※記憶に基づくエピソードです)

環境からの情報量が時間を歪める?

ここから、「客観的な時間」と「主観的な時間」のズレについて、みんなで頭をひねる展開に。

  • 情報の多い東京:刺激が多く、BGMも速いテンポ。自分の中のリズムが早くなるため、時計の進みが遅く感じる(=早く5分経ったと錯覚する)?
  • 情報の少ない沖縄:波の音やゆったりした空気。自分の中のリズムがゆっくりなため、時計の進みが早く感じる(=まだ5分経っていないと感じる)?

「じゃあ、沖縄でリモートワーク開発をしたら、バグ修正の時間は長く感じるのか、短く感じるのか?」
そんな思考実験も飛び出し、環境やBGMが私たちの脳内クロックに与える影響の大きさを再認識しました。

「ゾーン」に入った時、時間は止まるのか?

今回の対話で最も深かったのが、スポーツや極限状態における「ゾーン(フロー体験)」の話です。

柔道や剣道の経験者からは、試合中の不思議な感覚がシェアされました。

「相手の動きがコマ送りのようにゆっくり見えた。0.5秒くらいの攻防が、主観的には数秒に引き伸ばされているような感覚」

いわゆる「クロックアップ」した状態です。しかし、ここで一つの矛盾が生まれます。

  • 楽しい時間(デートなど):「え、もう3時間経ったの?」と早く過ぎる(ドーパミン優位?)。
  • 極限の集中(ゾーン):一瞬が永遠のように長く感じる(アドレナリン優位?)。

同じ「集中」している状態でも、リラックスを伴う楽しさは時間を短縮させ、生命の危機や極度の緊張を伴う集中は時間を引き伸ばすのではないか。そんな仮説にたどり着きました。

脳内物質と時間の関係

議論の中で、「パチンコやスロットなどのギャンブルをしている時」の脳内状態についても話が及びました。

「当たりが出るかも!」という期待値(ドーパミン)が高まっている瞬間は、強烈に記憶に残るため長く感じるのか、それとも夢中になりすぎて一瞬で過ぎるのか。参加者のリアルな体験談(学生時代の失敗談含む。笑)を交えながら、「感情の振れ幅」が記憶のタイムスタンプとして重要だという結論に至りました。

まとめ:主観的な時間をどうデザインするか

予定時間を過ぎても議論が尽きないほど盛り上がった今回の哲学カフェ。最終的に明確な答えが出たわけではありませんが、参加者の間では一つの共通認識が生まれました。

「時間は物理的には平等だが、感覚的には自分でデザインできる」ということです。

  • 新しいことに挑戦して刺激を増やすことで、人生を長く感じさせる。
  • 不快な時間は「没頭」することで短くやり過ごす。
  • 大切な人との時間は、意識的に「味わう」ことで引き伸ばす。

アインシュタインの相対性理論を持ち出すまでもなく、私たちの心一つで、今日の1時間は長くも短くもなります。

あなたにとって、今日の1日はどんな「速さ」でしたか?
そんなことをふと立ち止まって考えるのも、哲学カフェならではの贅沢な時間です。


次回の哲学カフェについて

当コミュニティでは、こうした正解のない問いについて、肩書きを外してフラットに語り合う場を定期的に設けています。

「ちょっと知的な朝活をしてみたい」「自分の考えを言葉にして整理したい」という方は、ぜひお気軽にご参加ください。次回もまた、新しい問いとともにお待ちしております!

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