AIがもたらす負の影響とは?便利さの裏で失われる「失敗」と「人間性」(2025/11/15)

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日々のニュースでAI(人工知能)の進化が報じられない日はありません。業務効率化、自動生成、チャットボットによるサポート……。それらは間違いなく私たちの生活を便利にしています。

しかし、今回の哲学カフェではあえてその影の部分、「AIがもたらす負の影響」についてじっくりと対話を重ねました。

「失敗する機会が減っているのは、本当に良いことなのか?」
「AIに思考を委ねることで、私たちは何失っているのか?」

参加者の皆さんの現場の実感から見えてきたのは、技術的なデメリットではなく、もっと根源的な「人間としての成長や在り方」に関わる深い問いでした。

「怒られる機会」が消滅?AIによる成長機会の損失

対話の口火を切ったのは、若手社員の育成現場におけるある変化についての話題でした。

最近の若い世代は、メールの文面などを送信する前にChatGPTなどの生成AIに添削させること一般的になりつつあります。誤字脱字はもちろん、失礼のない言い回しまでAIが完璧に修正してくれるため、先輩や上司から「その言い方は失礼だ」と指摘される機会が激減しているというのです。

  • 以前のプロセス:不完全なアウトプットを出す → 怒られる・指摘される → 修正する → 相手の地雷(人間性)を学ぶ
  • AI時代のプロセス:AIが整えた完璧なアウトプットを出す → 指摘されない → 「なぜそれがダメなのか」を身体で学ぶ機会がない

参加者からは、「指摘されることは、単なるミスの修正以上の意味があるのではないか」という意見が出されました。

「怒られることによって生まれる人間関係や絆もある。上司の『地雷』を踏んでしまい、そこから相手の性格や仕事の勘所を分析していくプロセスこそが、人間的な成長につながっていたのではないか。」

AIを使うことで表面的なミスはなくなりますが、それによって「失敗から学ぶ」「他者と衝突しながら関係を築く」という貴重な機会が損失している可能性があります。これは、AIがもたらす見えにくいけれど深刻な負の影響の一つかもしれません。

思考のアウトソーシングと「平均点」の罠

続いて議論は、「思考の依存」へと移っていきました。
ある参加者は、不動産の営業において物件選定をAIに任せてしまった経験を共有してくれました。「自分の知識よりもAIの方が論理的で正しいはずだ」と考え、AIが推奨した物件をそのまま顧客に提案してしまう。そこには「なぜ自分がそれを選んだのか」という主体的な意思が欠如しています。

ここで興味深かったのは、「AIは平均的な正解(60点〜80点)を出すのが得意だが、それを超えることはできない」という指摘です。

「ゆらぎ」と「突然変異」がイノベーションを生む

AIは過去の膨大なデータから「最も確からしい答え」を導き出します。しかし、歴史上の偉大な発見やイノベーションは、しばしば論理的な正解からは外れた「変人」や「常識外れの思考(ノイマンのような特異点)」から生まれてきました。

もし全員がAIの出す「平均的な正解」に従って行動するようになれば、どうなるでしょうか?
参加者の一人はこう警鐘を鳴らしました。

「ベストプラクティスだけで循環していくと、思考はストップしてしまう。0.1%のバグや突然変異、あるいは人間特有の『ゆらぎ』こそが、次の進化を生む種になる。AIに全てを置き換えることへの抵抗感は、この『進化の停止』に対する本能的な危機感なのかもしれない。」

AIに答えを求めすぎることで、私たちの思考が均質化され、予想外の未来を切り拓く力が弱まってしまうこと。これもまた、AIがもたらす負の影響と言えるでしょう。

AIには「痛み」がない。失われる身体性と他者への共感

対話の後半、話題はより哲学的な「身体性」へと深まりました。
「なぜ、AIと会話ができる時代に、わざわざ朝早く起きて生身の人間と対話しに来るのか?」という問いに対して、参加者から出たのは「AIには痛みがない」という気づきです。

AIはあらゆる情報を処理できますが、肉体を持たないため「痛み」や「エゴ」を感じることができません。一方で人間は、痛みを知り、エゴを持ち、理不尽な感情に振り回される生き物です。

  • AIとの対話:不快感がなく、自分の好みに最適化された「心地よい」空間。
  • 人間との対話:予期せぬ意見、理解できない価値観、時には不快感やストレス(未知との遭遇)。

「不快がない時間を過ごすことが、果たして豊かな人生なのだろうか?」
AIによってストレスのないコミュニケーションが可能になる一方で、私たちは「異質な他者」を受け入れたり、摩擦を乗り越えたりする精神的な筋肉(耐性)を失いつつあるのかもしれません。

孤独感や分断が叫ばれる現代において、AIが個人の嗜好に最適化された答えしか返さなくなることは、自分だけの殻に閉じこもる「タコツボ化」を加速させる負の影響も孕んでいます。

まとめ:AI時代における人間の役割は「ゆらぎ」と「責任」

今回の哲学カフェでは、「AIがもたらす負の影響」をテーマにしながらも、決してAIを否定する結論には至りませんでした。
むしろ、AIが普及するからこそ浮き彫りになる「人間にしかできないこと」の輪郭が見えてきました。

AIは「正解」を出す道具として使いこなしつつ、私たちは以下のことを大切にする必要があります。

  1. 失敗を恐れず、身体的な経験値を積むこと
    AIによるショートカットに頼りすぎず、時には泥臭いプロセスを経て学ぶ姿勢。
  2. 「平均点」を疑い、自分の頭で考えること
    AIの回答を鵜呑みにせず、自分の感性や直感を混ぜ合わせて「修正」を加えること。
  3. 生身の他者との「ノイズ」を楽しむこと
    最適化されていない、面倒で不合理な人間関係の中にこそ、AIには代替できない価値がある。

AIは私たちの「脳の拡張」ですが、魂や責任まで預けることはできません。
「AIが出した答えの中から、最後にどれを選び、その結果に責任を持つか」。その決断こそが、これからの時代における人間の仕事なのだと感じました。

次回の哲学カフェのご案内
私たちは、こうした答えのない問いについて、肩書きを外してフラットに話せる場を毎朝開催しています。「AIとの付き合い方にモヤモヤしている」「もっと本質的な話がしたい」という方は、ぜひ一度遊びに来てください。