「今度の休み、絶景を見に行かない?」
そんな会話を誰かとしたことはありませんか? あるいは、マッチングアプリのプロフィールで「絶景巡りが趣味」という言葉を見かけることも多いかもしれません。
しかし、ふと立ち止まって考えてみると不思議な疑問が湧いてきます。
高画質な写真やリアルなVR映像が簡単に手に入る現代において、なぜ私たちはわざわざ時間と労力をかけて、その場所まで行こうとするのでしょうか?
今回の朝活哲学カフェでは、そんな素朴な疑問からスタートし、「絶景」を求める人間の心理や、現代における「共有」の意味について深く対話しました。参加者の皆さんの実体験から見えてきた、意外な「絶景の定義」をご紹介します。
1. 写真やVRではダメ?「そこに行く」プロセスの価値
対話の冒頭、参加者から出たのは「なぜ写真を見るだけでは満足できないのか?」という問いでした。
確かに、GoogleマップやVRゴーグルを使えば、家にいながらにして世界中の絶景を疑似体験することができます。しかし、多くの人はやはり「現地」を目指します。
そこでキーワードとして挙がったのが、「プロセス(過程)」と「身体感覚」でした。
「肌感覚」と「苦労」が感動を作る
ある参加者は、登山の経験を例に挙げてこう語りました。
「VRで山頂からの景色が見られたとしても、多分感動は薄いんです。汗をかいて登って、気温が下がって肌寒さを感じて、やっと辿り着いたからこそ見える景色がある。その『身体的なプロセス』全部ひっくるめて絶景なんだと思います」
つまり、私たちは視覚情報としての「綺麗な景色」だけを求めているわけではありません。
移動の疲れ、現地の匂い、風の温度、そして「ここまで来た」という達成感。そうした文脈(コンテキスト)が伴って初めて、目の前の景色が「絶景」へと変わるのです。
逆に言えば、何の苦労もなくドアを開けてすぐに見える絶景は、ただの「綺麗な壁紙」のように感じられてしまうのかもしれません。プロセスという物語が、景色に深みを与えているのです。
2. SNSでシェアしたい心理と「枠」の話
次に議論は、「なぜ人は絶景を見ると誰かに共有したくなるのか?」という話題へ移りました。
SNSには絶景写真が溢れ、マッチングアプリでは「絶景を見に行きたい」というカードが人気です。
共有は「マウンティング」か「共感」か
「行った場所を自慢したい、いわゆるマウンティングではないか?」という意見もありましたが、対話が進むにつれ、もう少し深い心理が見えてきました。
- 体験の保存: 自分の中だけに留めておくには感情が大きすぎるため、アウトプットして消化したい。
- 価値観の確認: 「この景色を綺麗だと思える感性」が合う人と繋がりたい(特にマッチングアプリにおいて)。
- 枠(フレーム)の共有: スマホの画面という「枠」に切り取ることで、他者にも分かりやすく伝達可能なパッケージにしている。
興味深かったのは、「現場では視界という無限の広がり(フレームレス)に感動しているのに、それを伝えるために写真という『枠』に収めようとする矛盾」についての指摘です。
「窓枠から見える景色」や「スマホの画面」など、枠があるからこそ美しく見える場合もあれば、枠に収まりきらない圧倒的なスケールこそが絶景の本質である場合もあります。
私たちは、言葉にできない感動を「絶景」というラベルや写真という形にすることで、なんとか他者と繋がり合おうとしているのかもしれません。
3. 「絶景」は客観的な景色か、主観的な体験か
対話の後半では、「そもそも絶景とは何か?」という定義論に花が咲きました。
一般的には「雄大な自然」をイメージしがちですが、参加者の口から出た「マイ絶景」は実に多様でした。
人それぞれの「マイ絶景」
- ビルの窓から見る都会: 仕事で疲れた時に見る、高層ビル群の無機質な明かり。
- 廃墟や古い建物: 新しいビルばかりの街にポツンと残る、歴史を感じさせるボロボロの家。
- ビールの泡: 黄金比で注がれたビールの泡を見て「絶景だ」と言った上司のエピソード。
これらの話から見えてきたのは、「絶景とは、客観的な美しさの基準ではなく、見る人の心持ちや状況が決めるもの」という結論です。
仕事で疲れ切っている時に見る夕日、特別な人と一緒に見る何の変哲もない夜景、あるいは自分自身の美意識にカチッとはまった瞬間の光景。
誰かにとっての日常風景も、別の誰かにとっては心を揺さぶる「絶景」になり得ます。有名な観光地に行くことだけが絶景探しではない、というのは大きな気づきでした。
4. まとめ:あなたにとっての絶景とは?
「なぜ人は絶景に惹かれるのか」
今回の哲学カフェを通じて見えてきた答えは、単に「綺麗なものを見たい」という欲求以上の何物かでした。
それは、日常から離れる移動のプロセスを楽しみ、五感で世界を感じ、その感動を誰かと分かち合いたいという、人間らしい根源的な欲求の現れと言えるでしょう。
また、自分自身の心が投影されたものが「絶景」であるならば、私たちは旅に出なくても、日常の中でふとした瞬間に絶景に出会えるのかもしれません。
次回の問い:
あなたは最近、何に心を動かされましたか?
有名な観光地でなくても構いません。あなただけの「絶景」を探しに、少しだけ視点を変えて街を歩いてみてはいかがでしょうか。
【ご案内】
私たちの朝活コミュニティでは、このように正解のない問いについて自由に語り合う哲学カフェを定期開催しています。
自分の考えを言葉にし、他者の視点に触れることで、新しい世界の見方が手に入ります。
興味のある方は、ぜひ次回のイベントにご参加ください。


