大事なことを忘れてしまう「私」を許せますか?
「あんなに大事だと思っていたのに、なぜ忘れてしまったんだろう?」
「また同じミスをしてしまった。自分はなんてダメなんだろう……」
日常生活や仕事の中で、そんな風に自分を責めてしまうことはありませんか?
今回の哲学カフェのテーマは、ズバリ「人はなぜ大事なことを忘れてしまうのか?」でした。
最初は「財布を落とした」「社員証を忘れてオフィスに入れない」といった物理的な「忘れ物」の話から始まりましたが、対話が進むにつれて、話題は「完璧主義の弊害」や「自分を受け入れること(自己受容)」という、より深い心のテーマへと潜っていきました。
もしあなたが、日々の忙しさの中で「もっとちゃんとやらなきゃ」と生きづらさを感じているなら、この日の対話には、その重荷を下ろすヒントが隠されているかもしれません。
1. 「忘れる」は人間のデフォルト機能である
努力不足ではなく、仕様の問題
イベントの冒頭、参加者のみなさんから次々と飛び出したのは、自身の「忘れ物エピソード」でした。
- 「社会人3年目になって、逆に忘れ物が増えた」
- 「前日に完璧に準備したカバンごと忘れてしまった」
- 「社員証を忘れて、誰かが出てくるまでドアの前で泥棒のように待機していた(笑)」
笑い話として語られる一方で、そこには「対策をしているのに防げない」というもどかしさが滲んでいました。
しかし、対話の中で一つの重要な視点が提示されました。それは、「忘れることは能力の欠如ではなく、人間のデフォルト機能(標準仕様)である」という考え方です。
「覚えるというのは、生まれつき備わった能力ではなく、算数や書き方と同じで『技術』なんです。人間は基本的に忘れる生き物。だから、忘れたことを自分のせいにせず、仕組みのせいにするのが大事。」
この言葉に、ハッとした参加者も多かったようです。
私たちはつい、「忘れた自分=ダメな自分」と人格否定に結びつけがちです。しかし、そもそも脳は「忘れるようにできている」と認め、その上で技術(メモやTo-Doリスト)で補う。この「諦め」に近い受容こそが、自己否定のループから抜け出す第一歩なのかもしれません。
2. 「雨が降っている」事実を受け入れられますか?
自己受容のための「雨」のメタファー
対話の中で特に印象的だったのが、ある参加者が語った「雨のメタファー」です。
私たちは、大事なことを忘れたり、思い通りにいかなかったりすると、「受け入れられない!」と葛藤します。しかし、それは「雨が降っているのに、降っていないフリをして出かける」のと同じことではないでしょうか?
「雨が降っている現実は変えられない。どれだけ晴れてほしいと願っても、雨は降るんです。
それを受け入れられないと言って濡れて風邪を引くより、『雨が降っているんだな』と認めて、傘をさすなりレインコートを着るなり対処すればいい。」
これは、完璧主義を手放すための非常に強力なマインドセットです。
「忘れてはいけない」と自分に禁止令を出すのではなく、「自分は忘れる人間である(=雨が降っている)」という事実をフラットに受け入れる。そうすることで初めて、「じゃあどうするか?」という建設的な「傘」を用意することができるのです。
3. 完璧主義の罠:100点を目指す苦しみ vs 60点の安らぎ
「取りこぼした40点」を嘆くか、「取れた60点」を認めるか
話題はさらに、個人の性格や思考の癖へと展開していきました。
「テストで94点を取った時、どう感じるか?」という問いかけから、参加者のスタンスが二極化しました。
【タイプA:完璧主義傾向】
「なんであと6点取れなかったんだ」と、欠けている部分(取りこぼし)にフォーカスし、悔しさを引きずる。
【タイプB:自己受容傾向】
「今回はここが分からなかったんだな」と事実を受け止め、取れた点数を認める。
完璧主義の人は、常に「理想の100点」と「現実の自分」とのギャップに苦しみます。プロセスを含めて100点を目指す姿勢は素晴らしい向上心ですが、それが「自分への過度な厳しさ」に変わると、生きづらさを生んでしまいます。
ある参加者はこう語りました。
「自分のスペック的に、人間に対して期待しすぎているのかもしれない」
自分という人間に対し、「絶対にミスをしないスーパーコンピューター」のような期待をかけていないでしょうか?
不完全な自分を許すこと。それは決して妥協ではなく、持続可能な形で自分を成長させるための知恵なのです。
4. 記憶と感情:なぜ「嫌なこと」ほど忘れないのか
インナーチャイルドと承認欲求
「忘れたいのに忘れられない」「どうでもいいことほど覚えている」という矛盾についても議論が深まりました。
興味深かったのは、「忘れることで無意識に誰かの気を引こうとしているのではないか?」という心理分析的な視点です。
自分のことを後回しにして他人のお世話ばかりしている時、あえてポカ(ミス)をすることで、「どうしたの?」「手伝おうか?」という他者からの関心を引き寄せようとする——。
これは、自分自身を大切にできていない時に現れる、一種のSOSサイン(インナーチャイルドの叫び)かもしれません。
「忘れる」という行為の裏側には、単なる脳の機能エラーだけでなく、「私を見てほしい」「私を大切にしてほしい」という満たされない感情が隠れている場合があるのです。
5. 人間関係と忘却:エビングハウスの曲線を越えて
記憶を「上書き保存」するか「別名保存」するか
対話の後半は、恋愛や人間関係における記憶の処理についての話題で盛り上がりました。
過去の恋愛を引きずるか、スパッと切り替えるか。ここにも「完璧主義」や「執着」の影が見え隠れします。
「忘れるために忘れる努力をしなくていい」という意見が出ました。
心理学には「シロクマ効果」(考えないようにしようとすればするほど、考えてしまう現象)がありますが、忘れようと執着することは、逆に記憶を強化してしまいます。
- 過去の楽しかった記憶ばかり美化してしまう。
- 別れた原因(雨が降っていた事実)を忘れて、また同じような人と付き合ってしまう。
こうした「記憶の改ざん」もまた、脳が心の痛みを和らげるための防衛本能です。
しかし、ここでも大切なのは「事実をただ事実として受け入れる」こと。「雨が降っていたから別れたんだな」と淡々と受け止めることができた時、私たちは過去の亡霊から解放され、新しい一歩を踏み出せるのかもしれません。
おわりに:不完全なままで、つながり合おう
「大事なことを忘れる」という一つの現象から、自分の心の癖や、人間としての不完全さが見えてきた今回の哲学カフェ。
結論として言えるのは、「忘れてもいいし、完璧じゃなくてもいい」ということです。
私たちは機械ではありません。忘れるし、ミスもするし、感情に振り回されることもあります。でも、だからこそ「メモをとる」という工夫が生まれ、「助け合う」という関係性が育まれるのではないでしょうか。
もしあなたが今、自分の不完全さに苦しんでいるなら、まずは「雨が降っているな」と空を見上げるように、今の自分をただ認めてあげてください。
そして、一人で傘をさすのが大変な時は、ぜひ哲学カフェのような対話の場に来てみてください。ここには、同じように悩み、考え、笑い合える仲間がいます。
▼次回の哲学カフェに参加しませんか?
「問い」を通じて自分自身と向き合う時間は、忙しい日常の中で最高のマインドフルネスになります。初めての方も大歓迎です。


