「トラウマは存在しない」は暴論か?哲学カフェで語り合った、アドラー心理学と私たちのリアルな勇気(2025/12/13)

この記事の目次

1. 序盤の波紋:「それってパワハラ上司の理屈では?」

会の冒頭、まずは「トラウマ」という概念についてのアドラー的な解釈(目的論)を紹介しました。
一般的に私たちは、「過去にひどい目にあったから(原因)、今もそれが怖くてできない(結果)」と考えます。しかしアドラーは、「やりたくないという今の目的があるから、過去の記憶を引っ張り出してきて理由にしている」と考えます。

この説明をした瞬間、参加者の一人から苦笑交じりの鋭い意見が飛び出しました。

参加者:「それって、ブラック企業のパワハラ上司が言う理屈みたいですよね(笑)。『お前が営業できないのは過去の失敗のせいじゃない、やる気がないだけだ!』みたいな。全部『勇気の問題』で片付けられたら、救いがない気がするし、余計に傷つく人もいるんじゃないですか?」

確かにその通りです。「トラウマなんてない」という言葉は、実際に傷ついている人の痛みを無視する「根性論」にも聞こえます。
「いじめられた過去があるから人が怖い」と言っている人に対し、「いや、君が人と関わりたくないから、過去を利用しているだけだ」と言うのは、あまりにも冷酷に思えます。

しかし、対話を進めていくうちに、参加者たちはアドラーの意図が「過去の否定」ではなく、「過去の呪縛からの解放」にあることに気づき始めました。

2. ケーススタディ①:跳び箱の失敗は「能力不足」か「やらない決断」か

参加者Aさんが、自身の幼少期の「明確なトラウマ」について語ってくれました。

マットのない地面への転落

Aさんは幼稚園の頃、体育の時間に跳び箱をしようとしました。しかし、先生がマットを敷き終わる前に、テンションが上がってフライングで跳んでしまったのです。
結果、マットのない硬い地面に頭から落下。
それ以来、「跳び箱」を見るだけで体がすくみ、小学校の授業でも「絶対にやらない」と頑なに拒否し続けたそうです。

  • Aさん:「これはもう、完全にトラウマですよね。物理的に痛い思いをして、死ぬかもしれない恐怖を味わったわけですから。『やりなさい』と言われても、『過去にああいうことがあったから無理です』と言い訳にしていました。」
  • 参加者:「それは怖いですね…。でもアドラー的に言うと、『跳びたくない』が先にあることになりますね。」
  • Aさん:「そうなんです。実際、助走がうまくいかなくてまた失敗する自分も見えていたし、もう二度と痛い思いをしたくなかった。だから『トラウマ』というカードを切ることで、自分の身を守っていたんだと思います。」

ここで重要なのは、Aさんが「跳べなかった」のではなく、「跳ばないことを選んでいた」という点です。
もしAさんが「どうしても体操選手になりたい」という強い目的を持っていたら、恐怖を克服するトレーニングをしたかもしれません。
しかし当時のAさんの目的は「安全確保」でした。その目的を達成するために、「過去の事故」は非常に有効な材料として機能していたのです。

「できない」と思うと無力感に襲われますが、「自分は安全のために『やらない』を選んでいるんだ」と自覚すれば、それは主体的な選択になります。
アドラーの厳しさは、この「人生の主導権を自分に取り戻させる」点にあるのです。

3. 深掘り解説:「原因論」と「目的論」の決定的な違い

ここで、今回の対話の核となる「原因論」と「目的論」の違いを整理しておきましょう。ここを理解すると、人生の悩みの8割は解決の糸口が見えてくるとも言われます。

フロイト的「原因論」の世界

私たちが普段慣れ親しんでいる考え方です。
「過去(原因)→ 現在(結果)」という時系列で物事を捉えます。
(例)親に厳しく育てられたから、自分に自信がない。

この考え方の問題点は、「過去は変えられないので、現在も変えられない」という決定論に陥りやすいことです。「親が変わってくれない限り、自分は幸せになれない」と、被害者の立場に固定されてしまいます。

アドラー的「目的論」の世界

アドラーが提唱する考え方です。
「未来(目的)→ 現在(手段)」という逆転の発想で捉えます。
(例)親のせいで自信がないのではなく、「社会に出て傷つきたくない」という目的があるから、自信がない自分を演じて、家にいることを正当化している。

この考え方のメリットは、「目的さえ変えれば、今すぐ自分を変えられる」という点です。「傷ついてもいいから、やりたいことをやる」と目的を変えれば、過去の親の教育など関係なく、行動を起こせるようになります。

対話の中で、ある参加者がこう呟きました。
「原因論は『今の自分を慰める』ために使い、目的論は『未来を変える』ために使う。その使い分けができればいいのかもしれませんね」
これは非常に実践的な気づきでした。

4. ケーススタディ②:高校時代の「クラス降格」と人間不信

続いて、参加者Bさんが高校時代に経験した、壮絶な人間関係と決断の話をしてくれました。
これは「逃げる勇気」や「環境を変える決断」について深く考えさせられるエピソードです。

進学クラスの「動物園」化と裏切り

Bさんは高校時代、偏差値の高い進学クラスに在籍していました。しかし、そこはいわゆる「動物園状態」。勉強ができる生徒たちが教師を舐めて騒いだり、成績の低い生徒を見下したりする、劣悪な環境だったそうです。
さらにBさんを追い詰めたのは、信じていた友人たちによる裏切りでした。

Bさん:「当時付き合っていた彼女がいたんですが、うまくいかなくて相談していた友人がいたんです。親身になって聞いてくれると思っていたら、実はその相談内容を全部、彼女本人に横流ししていたんですよ。しかも、別れた後にその友人と彼女が付き合い始めて…。
その後も、別のクラスの友人に相談したら、また話が筒抜けで、クラス中で僕の陰口が聞こえるようになりました。誰も信用できない、まさに人間不信の極みでした。」

17歳の多感な時期に、閉鎖的な教室の中で四面楚歌になる恐怖は計り知れません。
Bさんはそこで、驚くべき決断をします。

「下のクラスに下げてください」という異例の申請

Bさんは先生に直談判し、学力レベルが低いとされるクラスへの転籍(クラス落ち)を願い出ました。
通常、進学実績を気にする学校側はこれを嫌がりますし、生徒のプライドとしても「落ちこぼれた」と思われるのは屈辱的なはずです。

  • Bさん:「めちゃくちゃ止められました。『ありえない』って。でも、『同じ屋根の下でこいつらと過ごすのは無理です』って押し切りました。周りからは『逃げた』とか『負け組』とか言われたでしょうけど、もうそんなプライドよりも、自分の平穏が大事だったんです。」

これは「逃げ」か「勇気」か?

アドラー心理学の観点から見ると、これは見事な「課題の分離」の実践です。
Bさんは、「周りがどう思うか(他者の課題)」を切り捨て、「自分がどう生きたいか(自分の課題)」を選び取りました。

一般的に「環境を変えること」はネガティブな「逃げ」と捉えられがちです。しかし、「より良く生きる」という目的のために、現在の環境を捨てることは、非常に能動的な選択です。
参加者全員が、「それは逃げではなく、自分の人生を守るための最大の勇気だ」と称賛しました。
トラウマ(過去のいじめや裏切り)に縛られて「学校に行かない」という選択肢もあり得た中で、Bさんは「環境を変えて生き直す」という未来志向の行動を取ったのです。

5. ケーススタディ③:ギターの不協和音と「学芸会の主役」

重たい話が続きましたが、もっと日常的で繊細な感覚にまつわるエピソードも共有されました。
参加者Cさんの、少し変わった「音への恐怖」と、それを乗り越えた話です。

特定の音が「怖い」感覚

Cさんには、幼い頃から「特定の音が怖い」という感覚があったそうです。
例えば、ピアノの真ん中の「レ」のシャープより下の音が苦手だったり、お寺の鐘のような余韻が残る音がダメだったり。
「もしギターを始めても、苦手な音があったらどうしよう?」「高い楽器を買って、弾けなかったらどうしよう?」という不安(予期不安)があり、なかなか手が出せなかったと言います。

しかし、ある時知人に「最悪、弾けなくなったらインテリアにすればいいじゃん」と言われ、その一言で「買う勇気」が出たそうです。
これは、「失敗してはいけない」という目的が、「インテリアでもいい(失敗してもいい)」という目的に書き換わったことで、行動のブロックが外れた好例です。

「一匹狼」が主役を勝ち取った日

また、Cさんは小学校時代、普段は「休み時間に一人で人間観察をしている」ような大人しいタイプだったにも関わらず、最後の学習発表会で「主役」のオーディションに立候補し、見事役を勝ち取った経験も語ってくれました。

  • Cさん:「目立ちたいわけじゃないんです。でも、昔から演劇を見るのが好きで、どうしてもその世界に入りたかった。人生最後のチャンスだと思ったら、『恥ずかしい』という気持ちよりも『やりたい』という目的が上回ったんです。」

このエピソードは、「勇気とは、恐怖がないことではない」ということを教えてくれます。
Cさんは、恐怖や恥ずかしさを感じていなかったわけではありません。それ以上に強い「目的(演じてみたい)」があったからこそ、震える足で前に出ることができたのです。
アドラーの言う「勇気」とは、性格の話ではなく、「目的の強さ」の話なのかもしれません。

6. 議論:それは「勇気」なのか、それとも「努力」や「性格」なのか

ここで、議論はさらに哲学的・本質的な方向へと深まりました。
「そもそも、勇気って何だろう?」という問いです。

参加者Dさんは、ここまでのみんなの話を聞いて、「自分にはそんなドラマチックな勇気のエピソードはない」と感じていました。

Dさん:「私はどちらかと言うと、流れに身を任せて生きてきたタイプです。仕事を変える時も『なるようになった』だけだし、勇気を振り絞った感覚はない。逆に、Cさんのように『こうあるべき』『こうしたい』という強い意志がある人が、そのギャップを埋めるために使うエネルギーが『勇気』なんじゃないでしょうか?」

「勇気」と「自然体」の境界線

この指摘は鋭い視点を含んでいます。
「こうありたい自分」と「現実の自分」にギャップがある時、それを埋めようとする行為には痛みが伴います。その痛みを引き受ける力が勇気です。
一方で、Dさんのように「今の状況を受け入れる」「流れに逆らわない」という生き方も、見方を変えれば「自己受容の勇気」と言えます。

アドラー心理学では、理想の自分を追い求めることだけを推奨しているわけではありません。
むしろ、「普通であることの勇気(特別な人間でなくても価値があると思えること)」を重視します。
Dさんの「なるようになった」という感覚は、実は「どんな結果になっても受け入れる」という、非常に強靭なメンタリティ(肯定的なあきらめ)に基づいているのかもしれません。

7. まとめ:自分を受け入れるという、静かで最強の勇気

約2時間にわたる対話を経て、私たちは「勇気」と「トラウマ」について一つの結論に達しました。

それは、「勇気とは、一世一代の大勝負をすることだけではない」ということです。

  • 過去の解釈を変える勇気:
    「あの失敗があったからダメだ」ではなく、「あの失敗があったから、人の痛みがわかる」と意味付けを変えること。
  • 環境を変える勇気:
    Bさんのように、自分を守るために「逃げる」という選択を、自分の意志で正当化すること。
  • 自分を受け入れる勇気:
    CさんやDさんのように、臆病な自分や流される自分を否定せず、「ま、これが自分だしな」と認めること。

アドラーの目的論は、一見すると「すべて自己責任」という厳しい教えに見えます。
しかし、その真意は「過去がどうであろうと、環境がどうであろうと、あなたのこれからの人生を決める権利は、100%あなたが握っている」というエンパワーメント(権限移譲)にあります。

跳び箱が跳べなくてもいい。
人間関係で失敗してもいい。
大切なのは、それを「過去のせい」にして被害者ポジションに留まるか、それとも「自分の選択」として引き受けて、次の目的地(目的)を決めるか。
そのスイッチを切り替える瞬間のことを、人は「勇気」と呼ぶのかもしれません。

今回の哲学カフェが、あなたの心にある「見えないトラウマ」を解消するヒントになれば幸いです。