不安との向き合い方とは? 不安は悪者か?対話で見えた「不安の正体」と「可能性」。(2025/8/23)

この記事の目次

今回の哲学カフェでは、誰もが抱える普遍的なテーマ、「不安に対してどう向き合うか」について、参加者の皆さんと深く掘り下げていきました。

「最近、どんな不安がありますか?」

このシンプルな問いから始まったセッションは、日常の小さな不安から、人生の根幹に関わる大きな不安まで、多岐にわたる議論へと発展しました。この記事では、その白熱した対話の模様と、私たちが見出した「不安との向き合い方」についてのヒントを、開催報告としてお届けします。

漠然とした不安に悩んでいる方、不安を行動力に変えたい方にとって、きっと新しい視点が見つかるはずです。

不安には2種類ある? 「形ある不安」と「漠然とした不安」

対話はまず、「今感じている不安」を具体的に出し合うところから始まりました。すると、不安には大きく分けて2つの種類があることが見えてきました。

1. 形になっている不安(解決策が明確なもの)

一つは、「形になっている不安」です。参加者の一人から出たのは、こんな具体例でした。

「家を出るときに、『あれ、鍵閉めたかな?』『クーラー消したかな?』って不安になるんです。ガスを閉じたかもそうですね。こういう小さな不安が積み上がっていく感じで。」

これに対し、他の参加者からは「それは確認すれば消える不安ですよね」という意見が出ました。確かに、これらの不安は「確認する」という行動を取れば解消できます。解決方法が分かっている不安です。

しかし、なぜ私たちはこんなに不安になるのでしょうか?

対話はさらに深まります。

「鍵を忘れたことが不安なのではなくて、その先に何かが起こるかもしれないから不安なんです。鍵が閉まっていなければ泥棒が入るかもしれない。ガスを閉め忘れたら火事になるかもしれない。その『先』が不安なんです。」

この指摘は、不安の本質を突いていました。私たちは出来事そのものよりも、それが引き起こす「かもしれない」未来を恐れているのです。

2. 漠然とした不安(その先が想像できないもの)

もう一つは、「形になっていない曖昧なもの」、いわゆる「漠然とした不安」です。

形ある不安は「その先」が(火事や泥棒など)具体的に想像できるからこそ対処が可能です。しかし、漠然とした不安の厄介なところは、「その先が明確に想像できない、分からない」という点にあります。

例えば、キャリアや将来に対する不安。「このままでいいのだろうか」という思いはあっても、何がどうなる「かもしれない」のか、その未来像がはっきりしない。だからこそ、対処法も分からず、不安だけが霧のように立ち込めます。

結婚、孤独、健康…私たちが本当に恐れる不安とは?

議論はさらに「漠然とした不安」の具体例として、「結婚」というテーマに移っていきました。

「結婚できるかどうか、という不安。でも、それも『その先』の不安かもしれません。結婚した後に、自分が築いた家庭をずっと保っていられるのか、という。」

この発言をきっかけに、「なぜ私たちは結婚(あるいは安定したパートナーシップ)を求めるのか」という問いが生まれます。お金持ちの男性を求める女性の例も出ましたが、それは「お金」が多くの選択肢(=幸福の可能性)に変換できるツールだからではないか、という分析も。

しかし、対話が導き出した本質は、もっと深いところにありました。

「結婚できるかどうかの不安って、最終的には『将来の孤独』に対する不安なんじゃないかと思うんです。」

この意見には、多くの参加者が頷きました。私たちは、社会的なつながりを失い、一人で老いていくことを本能的に恐れているのかもしれません。

人生最大の不安「孤独 vs 健康」

では、私たちが抱える不安の中で、最も恐ろしいものは何でしょうか? 対話はクライマックスを迎えます。

  • 死の不安
  • 孤独の不安
  • お金の不安
  • 健康の不安

これらの中で、どれが一番怖いか。例えば、こんな究極の選択が提示されました。

「70歳になった時、どちらがマシか。資産100億で孤独か、お金はないけど家族(人間関係)に囲まれているか。」

「若い頃はお金があった方がいいけど、70歳なら人との繋がりが大事」「孫が帰ってくるのを楽しみにしているおじいちゃんの方が面白そうな人生」といった意見が飛び交います。

しかし、さらにこんな問いが投げかけられました。

「じゃあ、孤独と健康はどっちがいいですか?」

「健康ですね。」 「健康です。健康であれば、これから孤独を解消する動きができますから。」

これは満場一致の結論でした。もし70歳で資産100億あっても、病院で寝たきりではお金は使えません。しかし、健康で体力さえあれば、ゲートボールでもパターゴルフでも、新しいコミュニティに参加し、孤独を解消する行動を起こすことができます。

私たちが最も恐れるべきは、実は「健康を失うこと」であり、健康でさえあれば、他の多くの不安(孤独やお金)は対処可能(行動可能)である、という一つの答えが見えてきました。

(とはいえ、参加者からは「20代、30代のうちは、まだ体が元気だから健康の不安は感じにくい。むしろ周りが結婚し始めることによる孤独の不安の方が大きい」というリアルな声もあり、年代によって不安の優先順位が変わることも確認されました。)

不安は「一時的な解消」と「永続的な解消」

不安の正体が見えてきたところで、話題は「どうやって解消するか」という、まさに「不安との向き合い方」に移ります。

ここでも対照的な2つの解消法が挙げられました。

  1. 一時的な解消(水性のペン)
  2. 永続的な解消(油性のペン)

例えば、孤独を感じた時に、哲学カフェのようなコミュニティに来る。あるいは、性欲を感じた時にお店に行く。これらは「一時的な解消」です。その瞬間の不安は塗りつぶせますが、水性のペンのように、時間が経てばまた不安が浮かび上がってきます。

一方で、孤独に対して「信頼できるパートナーを作る」という行動は、「永続的な解消」を目指すものです。しかし、これは油性のペンで上書きするようなもので、一瞬ではできません。「付き合ってください」「はい、オッケー」とはならず、関係性を築くには時間がかかります。

多くの場合、永続的な不安の解消には時間がかかる、という現実。これが、私たちが不安と長く付き合い続けなければならない理由の一つでもあるようです。

不安は「悪」なのか? モチベーションとしての不安

対話の中で、非常に重要な視点が提供されました。それは、「人間の行動モチベーションは2種類しかない」というものです。

  • 快楽を求める(より良くなりたい)
  • 不安を回避する(損をしたくない、危険を避けたい)

Webマーケティングの世界でも、行動を喚起する言葉は「不安から逃れるための一言」の方が強力だと言います。

「コロナ禍で家から出なかった人は、不安が強い人。私は不安が少ないタイプだから気にせず出かけていた」という参加者の発言もありましたが、これはまさに不安の「強さ」が行動を決定している例です。

ここから、私たちは「不安は悪いものじゃないのかもしれない」という仮説にたどり着きます。

「不安があるから、私たちは行動するのではないでしょうか。もし不安が全くない『ストレスフリー』な状態だったら、現状に満足してしまい、何も行動しなくなるのでは?」

研修で「ストレス(不安)はある程度なければいけない。それをバネにして頑張るんだ」と言われた、という施工管理の仕事をしている方の実体験も共有されました。現場で「ちゃんとやっていけるのか」という不安があるからこそ、準備をし、学び、成長しようとする。

不安は、私たちを突き動かす「行動の原動力」なのです。

不安をゼロにすること(根絶)を目指すのではなく、1〜2割程度は持ちつつ、それをエネルギー源として「削減」レベルにコントロールする。これが「うまく付き合う」ということではないか、という意見にまとまっていきました。

【哲学的結論】なぜ不安になるのか? それは「できるかもしれない」から

そして、対話はセッションの最後に、最も本質的で、希望に満ちた結論に達しました。

きっかけは、ある参加者が思い出した「誰かが言っていた言葉」でした。

「人間は、自分にできないことは、そもそも不安に感じない」

どういうことでしょうか?

「例えば、私が明日『アメリカ大統領になれるかな、どうしよう』とは不安になりませんよね。100%無理だと分かっているからです。考えもしない。」

「不安になるということは、『できるかもしれない』から不安になるんです。」

この言葉は、会場にいた全員にとって、まさに目から鱗でした。

  • 「結婚できるかな」と不安になるのは、心のどこかで「まだ自分は結婚できるかもしれない」と思っているからです。60歳、70歳になって「もうできない」と諦めたら、その不安はなくなります。
  • 「仕事でうまくやれるか」不安なのは、「自分はうまくやれるかもしれない」可能性を信じているからです。
  • 「鍵を閉めたか」不安なのは、「閉め忘れたかもしれない」という可能性(=火事や泥棒の可能性)が0%ではないからです。

隕石が落ちてくる可能性も0%ではないから不安になりますが、「明日ワープホールが目の前に現れる」可能性は0%だと思うから不安になりません。

良いことも悪いことも、「起きるかもしれない」と思うから不安を感じる。

「つまり、不安を感じるということは、そこに『希望的観測』や『可能性』が残っている証拠なんです。」

まとめ:不安との「うまい」向き合い方

今回の哲学カフェは、「不安」という重いテーマでありながら、最終的には非常に前向きな結論にたどり着きました。

私たちが学んだ「不安との向き合い方」をまとめます。

  1. 不安の正体を知る。 不安なのは「その先」に起こるかもしれない(良いこと、悪いこと)を想像しているから。
  2. 不安の優先順位を知る。 究極的には「健康」が基盤。健康さえあれば、多くの不安は行動で解決できる可能性がある。
  3. 不安の役割を理解する。 不安は「悪」ではなく、自分を行動させるための「原動力(モチベーション)」である。
  4. そして、不安を受け入れる。 不安を感じるということは、あなたが「まだできるかもしれない」と可能性を信じている証拠

不安は、死ぬまで一生ついて回るものかもしれません。しかし、それは同時に、私たちが人生に可能性を感じ続けている証でもあります。

不安を感じたら、「ああ、今、自分は可能性を感じているんだな」と。そうやって、自分の不安を少し客観的に、そして肯定的に捉え直してみる。それが、私たちがこの哲学カフェで見つけた、不安との「うまい」付き合い方です。

次回の哲学カフェでも、皆さんと深い対話ができることを楽しみにしています。