ChatGPTの登場以来、AIは私たちの日常と仕事に急速に浸透しています。業務効率化のツールとして歓迎する声がある一方、「自分の仕事はAIに奪われるのではないか」という不安もまた、多くの人が抱えるリアルな感情です。
先日開催した哲学カフェでは、「AI時代の働き方」をテーマに、AIの進化、仕事の自動化、そして未来のキャリアについて、多様なバックグラウンドを持つ参加者の皆さんと深く対話しました。
AIを「足がかり程度に使う」という方から、「毎日使いこなし、デザイナーへの指示出しにも活用している」という経営者の方まで。それぞれの立場から語られた、テクノロジーと人間のリアルな関係性についての議論をレポートします。
AIとの距離感:日常業務でどう向き合うか
対話の始まりは、それぞれの「AIとの距離感」の共有からでした。
- 「ChatGPTはまだ嘘をつく。だから、調べ物の“足がかり”程度」(慎重派)
- 「自分で考えたいし、調べたい。今のところ検索で間に合っている」(研究職)
- 「Excelのマクロ作成など、得意なことはAIに任せると非常に優秀」(エンジニア)
- 「毎日使っている。チラシデザインの改善案を画像付きで提案させるなど、ブラッシュアップがすごい」(経営者)
特に印象的だったのは、化学系の研究所で働く方の「手作業の実験はAIにはまだできない」という言葉です。AIやロボットによる自動化が進むのは、実験そのものよりも、条件設定やシミュレーションといった「上流工程」だという指摘は、AI時代の働き方を考える上で重要な視点です。
AIの進化スピードは凄まじく、「GPT-3.5が出てからまだ数年なのに、この進歩は想像がつかない」という声も。AIが自らAIを改善し始める「シンギュラリティ(技術的特異点)」が現実味を帯びる中で、私たちの仕事の定義そのものが問われています。
「責任」は誰が取るのか? AI時代の最大の課題
対話が深まる中で、全員が共通して指摘した課題。それが「AIは責任を取ってくれない」という問題でした。
士業を解約した経営者の決断
ある経営者の方は、驚くべきエピソードを共有してくれました。
「知り合いの経営者が、税理士、社労士、弁護士との契約をすべて解約した。年間300万円のコストが浮き、30年働けば約1億円になる、と。その代替をすべてChatGPTが担っているそうです。」
これは衝撃的な事例ですが、同時に「もしAIの助言で経営判断を誤ったら、誰が責任を負うのか?」という重い問いを投げかけます。
AIはあくまで「ツール」です。参加者からは「包丁が人を傷つけても、責任は包丁ではなく使った人間にある」という例えや、「車の自動運転で事故が起きれば、ドライバーやメーカー(トヨタなど)がリコール対応するのと同じ構造だ」という意見が出ました。
AI時代の働き方において、私たち人間が担うべき最大の役割は、AIの出力を鵜呑みにせず、最終的な「判断」と「責任」を引き受けることにあるのかもしれません。
AIに潜む「思想」と「バイアス」の罠
さらに議論は、AIの中立性、いわゆる「バイアス」の問題にも及びました。
「AIの判断は、設計者の意図次第で変わるのではないか?」
ある参加者が「日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が共通の祖先を持つという説)」について、異なるAIに質問した体験談は示唆に富んでいました。
- ChatGPT(アメリカ系):「そのような事実は確認されていない」と、やや否定的に回答。
- DeepSeek(中国系):関連するデータを客観的に提示。
開発元の国や組織が持つ「思想」が、AIの回答に影響を与えている可能性が浮き彫りになりました。政治や歴史、思想に関わる分野でAIの回答を鵜呑みにすることの危険性を、私たちは認識する必要があります。
AIに奪われる仕事、人間に残る仕事
では、具体的にどのような仕事がAIに代替されていくのでしょうか。
「パソコン上で完結する仕事は、ほぼ全部AIに奪われる」
これは、今回の対話で出た一つのリアルな見解です。例えば「通関士」の仕事。輸出入する物品はすべて数字(HSコード)で管理されており、書類作成と申告がメイン業務です。これはまさにAIの得意分野であり、「かなりの部分がAIに取られるだろう」と、その業務に近い参加者は語ります。
また、AIがブラウザを操作してタスクを実行する「AIエージェント」の進化も止まりません。旅行の予約、スケジュール調整、カレンダーへの登録まで、代理で実行してくれる未来はすぐそこです。
しかし、仕事が「なくなる」わけではない、という希望ある視点も提示されました。
「産業革命の時も『機械に仕事が奪われる』と言われたが、結局はなくならなかった。通関士という職業は残っても、やっている業務の内容が全部変わる可能性が高い。書類仕事はAIに任せ、人間は現場での調査や税関との折衝など、足を使う仕事が残るのではないか。」
AI時代の働き方とは、AIができない「物理的な作業」や、より高度な「クリエイティブな判断」「経営者的な視点」が求められるようになる、ということでしょう。
もしAIが全部やってくれたら? 「暇」と「刺激」の哲学
対話の終盤、私たちは「もしAIがすべての労働を代替し、ベーシックインカムで生活できるようになったら、人間は何をするのか?」という壮大な問いに行き着きました。
「今の仕事はやめるかもしれない」
「時間が余ったらどう使うか、私たちは慣れていない」
そんな戸惑いの中、「私は旅人になりたい。世界の広さを体験したい」と明確に語った方がいました。お金や時間に縛られず、「経験」や「体験」に価値を見出す。これは一つの答えかもしれません。
一方で、人間の本能的な「刺激」を求める側面も浮き彫りになりました。
落合陽一氏の「人間が最後にやることは恋愛と戦争」という言葉が紹介され、会場はざわつきます。現代のエンターテイメントが「ブレイキングダウン」(素人の格闘技)や「令和の虎」(経営者の戦い)など、闘争や競争をコンテンツ化している事実は、人間の根源的な欲求が変わっていないことを示しています。
争いを避けるヒントは「多様性」にあり
人間は本能的に凶暴なのか? サピエンス全史や、弥生時代に「土地の所有」が始まってから争いが増えた歴史を振り返りつつ、対話は「どうすれば争いを避けられるか」という希望の探求に移りました。
「ゾウリムシの研究では、環境を複雑にする(岩や砂を置く)と、競争排除(強者による弱者の淘汰)が起こりにくくなる」
これは非常に興味深い知見です。「環境を複雑にする」とは、人間社会でいえば「多様な価値観を持つ」こと。お金や地位といった単一の物差しではなく、多様な物差しがあれば、無用な競争は減るのではないか。
狩猟採集民だった縄文時代は、常に移動し多様な環境にいたから争いが少なかったのではないか、という考察も加わりました。
まとめ:AI時代こそ「対話」で自分の物差しを磨く
AI時代の働き方というテーマから始まった今回の哲学カフェ。AIの具体的な活用法、責任の所在、キャリアの未来、そして最後は「人間とは何か」「幸福とは何か」という根源的な問いへと着地しました。
確かなのは、AIという強力なツールを使う「人間」自身のアップデートが求められているということです。
AIの思想に染まらず、自動化によって生まれた「暇」な時間を有意義に使い、単一の価値観による競争に陥らない。そのためには、自分自身の「物差し」をしっかりと持つことが不可欠です。
答えのない時代だからこそ、こうして多様な人々と顔を合わせ、リアルな声で対話し、自分の考えを深めていく。哲学カフェの価値を再認識する、濃密な時間となりました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

