「幸せより苦しみのほうが多い」——そんな問いを哲学カフェで深掘りした朝活の記録です。サピエンス全史の視点から農業革命・SNS・仏教の「空」まで、現代の幸せと苦しみの本質を参加者とともに探りました。
「幸せより苦しみが多い」——サピエンス全史が問いかけること
今回の哲学カフェ後半のテーマは「幸せより苦しみのほうが多いのではないか」でした。きっかけになったのは、ノア・ハラリの『サピエンス全史』です。
ハラリはこの本の中で、人類がなぜここまで繁栄できたのかを科学的に解き明かした上で、最後にこう問いかけます——「これだけ進歩した私たちは、本当に幸せになれたのだろうか」と。
この問いを持ち込んだ参加者は、ここ数年歴史を学ぶ中で「現代人が悩んでいることは、過去の歴史上の人々も同じように悩んでいたのではないか」という気づきを得たといいます。歴史から学ぶことで、今の苦しみを相対化できると感じたからこそ、このテーマを選びました。
農業革命が奪った「移動の自由」と個人の幸福
科学的な研究によると、農業革命以前の狩猟採集時代、人間が1日に必要とするカロリーは2700kcalほどで、それほど長時間働かなくても生きていけたとされています。しかも定住する必要がなかったため、食料を求めて移動しながら、出会う人も景色も毎日変わる暮らしを送っていました。
ところが農業革命によって「ひとつの場所に住む」ことが始まりました。定住すると人と協力しなければならず、摩擦が生まれ、悩みが増える。国としては豊かになったけれど、個人としての幸せは失われていったのではないか——という仮説が会話の中で浮かび上がりました。
「移動できる」という選択肢があること。それだけで幸福の条件のひとつになりえるかもしれません。
SNSと比較文化が作り出す、現代特有の苦しみ
この構造は現代でさらに加速しています。SNSの登場によって、人と人を比較する材料が爆発的に増えました。かつてブータンは「幸福度ランキング1位」と言われていましたが、スマートフォンが普及して周囲の国の豊かさを目にするようになって以来、幸福ランキングが大幅に下がったといいます。
「知らないことが幸せ」——この言葉には、比較対象を持たないことの豊かさが込められています。
韓国の状況も話題に上りました。日本よりも人口密度が高く、ソウルに人口が集中する中で、SNS上での他者比較が激しい。「結婚するなら男性が新築の家を持っていなければならない」という旧来の価値観とSNSが組み合わさり、出生率が大きく落ち込んでいます。参加者からは「現代の不幸の最前線は韓国かもしれない」という声も出ました。
また、情報を意図的に減らしている参加者から「先月YouTubeをスマホから消したら、自分の思考が動き出した」という体験談が共有されました。X(旧Twitter)やスレッズ、TikTokを削除したという声も。情報量を減らすことで、自分と向き合う時間が増えるという実感は、多くの参加者が頷くものでした。
「いい苦しみ」と「悪い苦しみ」——可能性を広げるかどうかが分かれ目
「苦しみイコール不幸ではない」——この話題になったとき、場に緊張感が漂いました。
スポーツを長年やってきた参加者は「苦しいけど楽しかった」と言います。負けたくないという気持ちが、きつい練習を受け入れる原動力になっていたと。
そこから「可能性が広がる苦しみ」と「可能性が閉じる苦しみ」という視点が生まれました。たとえば、新しいスキルを身につけるための数年間の下積み。金銭的には苦しくても、その先に選択肢が増えるなら「いい苦しみ」と言えるかもしれない。一方で、誰かに傷つける言葉を言われ続けるような精神的な痛みは、可能性を奪う「悪い苦しみ」です。
また、進化生物学の「赤の女王仮説」も紹介されました。環境が変化し続ける中で、生物は走り続けることでやっと同じ場所にとどまれる。変化しなければ絶滅する——これは人間も同じで、安定を求めすぎることはかえって危うい、という話は参加者の間で深く共感されました。
「苦しみを楽しめるようになれたら最強」という一言が、場の空気を明るく変えました。
ハフ・トゥーを手放して、ウォント・トゥーで生きるには
会話は「やらなければならない(ハフ・トゥー)」と「やりたい(ウォント・トゥー)」の違いへと広がりました。
会社を辞めたばかりの参加者は「やりたいことが見つからない」と打ち明けました。それに対して、「やりたいことが見えないのは、そのアンテナを長らく使ってこなかったせいで感度が落ちているだけかもしれない」という視点が返ってきました。
大切なのは順番だといいます。まず「やりたくないことをバーっとリストアップする」。それを明確にした上で、その逆を取っていく。やりたいことを先に探そうとすると、やりたくないことと混在してしまって動けなくなる——この気づきは、多くの参加者が深く頷くものでした。
また「やらなければいけない」という固定観念が強すぎると、本当にやりたいことへのアンテナが塞がれてしまう。SNSやニュースが「ねばならない」を増幅させている今の社会では、意識的に情報を遮断することが、自分の声を聞き直すための第一歩になるかもしれません。
仏教の「空」と瞑想——幸せを求めない逆説
幸せと苦しみの話が深まったところで、仏教の「空(くう)」という概念が登場しました。
幸せと苦しみは対になっている——幸せを追い求めると、そのために不幸が生まれる。自分が豊かかどうかを考えることは、貧しい人との比較でしかない。この逆説を仏教は「空」という言葉で表します。「幸せかどうかを考えない」ことが最良の処方箋かもしれない、というのがこの場での暫定的な結論でした。
一方で、何もせずに止まったままでは生きていけない。だから、1日15分の瞑想でニュートラルにリセットしながら、また現実世界で自分のやりたいことに向かっていく——この繰り返しが現実的な生き方ではないかという提案も出ました。
実際にお寺での瞑想合宿(夜11時から朝6時まで)に参加した方は「変な思い込みがなくなった」「集中できるようになった」と話していました。毎日15分の瞑想を続けているという方も。3000円ほどで参加できる合宿があるといいます。
徳島・海陽町に学ぶ「ぼちぼち」という生き方
話の中で紹介されたのが、徳島県の旧海陽町のエピソードです。自殺率がかつて低かったとされるこの町について、岡靖さんの著書で詳しく紹介されています。
この町の特徴は、幸福度アンケートの数値は高くなく、かといって不幸度も低い——「ぼちぼちだね」という答えが最も多かったことです。幸せを強く追い求めず、かといって不幸でもない。このニュートラルな感覚こそが、生きやすさの鍵なのかもしれません。
また、「強い絆よりも緩やかな繋がりのほうが自殺率が低い」という研究も紹介されました。親しい人ほど心配をかけたくなくて本当の悩みを話せない。でも、顔見知り程度の緩やかな繋がりがある環境では、悩みを初期段階で気軽に相談できる——そのことが生きやすさを支えているというわけです。
コミュニティに多く属していること、かつそこへの縛りが強くないこと。離脱も参加も自由にできること。哲学カフェという場が持つ「緩やかな繋がり」の価値を、改めて感じる話でした。
まとめ——幸せは「求めるもの」ではなく「気づけばなっているもの」
今回の哲学カフェを通じて浮かび上がってきたのは、「幸せを強く求めるほど、不幸を作り出してしまう」という逆説でした。
農業革命による定住、SNSによる比較文化、情報過多の時代——これらはいずれも、苦しみを感じやすくする条件を積み重ねてきた歴史でもあります。だからこそ、情報を減らす、瞑想でリセットする、「ぼちぼち」でいい、やりたいことに素直に従う——そんなシンプルな実践が、生きやすさへの道になるのかもしれません。
「幸せかどうかなんて、普段考えてもいなかった」という言葉が最後に残りました。考えなくてもいいくらい、ただ今に夢中になれる——それが一番の答えなのかもしれません。次回の哲学カフェも、あなたのご参加をお待ちしています。

