現代社会の「焦り」を紐解く。哲学カフェで語り合ったFOMOとJOMOの本質(2025/11/29)

この記事の目次

朝起きて一番にすること。それは「スマホの通知確認」になっていませんか?
通勤電車の中で、特に目的もなくSNSのタイムラインを更新し続けていませんか?

現代社会を生きる私たちは、常に「何か」と繋がっていないと落ち着かない、不思議な焦燥感の中にいます。
今回の「朝活・哲学カフェ」のテーマは、そんな現代特有の心理状態である「FOMO(Fear Of Missing Out:取り残される不安)」について。

そして、その先にある新しい価値観「JOMO(Joy Of Missing Out:見逃す喜び)」の可能性について、参加者の皆さんと深く語り合いました。

「ニュースを見ていないと世界から断絶された気分になる」
「技術トレンドを追わないエンジニアは死んだも同然」
「いや、それは不安ではなくただの暇つぶし(ドーパミン中毒)ではないか?」

対話が進むにつれ、単なる「スマホ依存」という言葉では片付けられない、人間の根源的な欲求と生存戦略が見えてきました。
約2時間に及んだ白熱の対話の内容を、余すことなくレポートします。

 

1. 「取り残される」ことへの3つの異なる恐怖

一口に「FOMO(取り残される不安)」と言っても、その内実は人によって全く異なります。
今回の対話では、参加者の実体験から、大きく分けて3つの「不安の型」が浮かび上がってきました。あなたはどのタイプに当てはまるでしょうか?

① 世界のタイムラインから外れる恐怖(ニュース・時事型)

ある参加者の方は、日々のニュースチェックが欠かせないと語りました。それは投資のためや仕事のためといった実利的な理由以上に、もっと感覚的な不安によるものでした。

「例えば1週間旅行に行ってニュースを見ていないと、帰宅してすぐに『この1週間に何があったか』を確認したくなるんです。自分が生きている時間軸と、世界が動いている時間軸がズレることが怖い。一種の『ミッシング(欠落)』を感じるんです。」

ニュースを見ていない間に、世界で大きな暴動が起きたり、歴史的な出来事が起きたりしているかもしれない。
このタイプの方が感じているのは、「社会という大きな情報の奔流(メインストリーム)」から自分が切り離されてしまうことへの根源的な恐怖です。個人の損得を超えて、「同じ時代を生きている」という感覚を共有し続けたいという欲求が、FOMOの正体であるケースです。

② 生存戦略としての焦り(キャリア・スキル型)

一方で、IT・エンジニア職の参加者からは、より切実で現実的な「生存戦略としてのFOMO」が語られました。

  • 「技術の世界では、主流(メインストリーム)から外れることは『死』を意味する」
  • 「常に新しい情報をキャッチアップしていないと、コミュニティから弾き出される恐怖がある」
  • 「同僚が新しい資格を取ったり、勉強会に行っているのを見ると焦る」

ここでは、情報の取得が「自分の市場価値を維持するための義務」になっています。
「勉強しないと置いていかれる」という危機感は、成長のドライバー(原動力)になる一方で、終わりのない徒競走に参加し続けるような精神的負荷も伴います。

ある参加者はこれを「コミュニティから弾き出されないための必死のコネクト(接続)」と表現しました。集団から遅れることが死に直結していた、狩猟採集時代の本能がデジタル社会で過剰作動しているのかもしれません。

③ 相対的な比較による劣等感(SNS・キラキラ型)

「普段は気にならないけれど、他人の成果を聞いた瞬間にだけ発動する不安」についても議論になりました。
会社の自己紹介やSNSで、「〇〇に行きました」「〇〇の資格を取りました」という話を聞いた瞬間、自分の生活が相対的に地味で、停滞しているように感じてしまう。

これは、自分の軸ではなく「他者との比較」によって発生するFOMOです。
「みんなが持っているものを自分が持っていない」「みんなが参加している祭りに自分だけ参加していない」という疎外感が、スマホを見る時間を増幅させていきます。

2. それは「不安」か?それとも「脳の暇つぶし」か?

議論はさらに深まり、非常に興味深い仮説が提示されました。
「私たちがスマホを手放せないのは、本当に『不安だから』なのだろうか?」という問いです。

情報のギャンブルとドーパミン

ある参加者は、自身の行動を振り返りこう語りました。

「寝る前にショート動画を延々と見てしまうんですが、それは『不安』からではない気がします。どちらかというと『何か面白いものはないか』という宝探しに近い。ギャンブルで当たりを待っている感覚です。」

TikTokやYouTube Shorts、X(旧Twitter)のタイムラインをリロードする行為。これは心理学的には「可変報酬(Variable Reward)」と呼ばれる仕組みに関連しています。
「次こそは面白い動画が出るかもしれない」という期待感が脳内でドーパミンを放出させ、やめられなくさせるのです。

これを対話の中では「情報のネットサーフィン中毒」「好奇心の暴走」と定義しました。
深海生物の動画を探したり、全く関係のないゴシップを読んだりする行為は、「社会から取り残される不安(FOMO)」とは別種の、「脳への刺激不足」から来る行動である可能性が高いという分析です。

「不安」だから見ているのか、「快楽(暇つぶし)」で見ているのか。
自分のスマホ利用がどちらの動機に基づいているかを見極めることが、デジタルデトックスの第一歩と言えるでしょう。

3. FOMOの先にある「JOMO」という生き方

では、この終わりのない「情報の追いかけっこ」から降りることはできるのでしょうか?
対話の後半、話題はFOMOの対義語である「JOMO(Joy Of Missing Out:見逃す喜び)」へと移りました。

「主流」から外れることの開放感

JOMOとは、情報の洪水からあえて距離を置き、「今、ここにある自分の時間」を大切にすることで得られる充足感のことです。
キャリアに対する焦りを語っていた参加者の方から、ハッとするような発言がありました。

「ずっと技術の主流派でいなきゃと焦っていたけれど、一度『もういいや、今の職場を辞めてみよう』と決めたら、すごく精神が健やかになったんです。今は次の目標が見つかっていない状態ですが、その『何者でもない時間』を楽しめている。これがJOMOなのかもしれません。」

この発言は、参加者全員に深い気づきを与えました。
「置いていかれる」と恐れていた場所から、自らの意思で一歩外に出てみる。するとそこには、「自分のペースで歩ける道」が広がっていたのです。

『ヒラヤスミ』的な生き方への憧れ

また、対話の中で漫画・ドラマの『ヒラヤスミ』(真造圭伍 著)が話題に上がりました。
野心もなく、都会の片隅で平屋に住み、のんびりと暮らす主人公。社会的な成功や情報の最前線からは「取り残されている」ように見える彼らの生活が、なぜこんなにも現代人の心に響くのか。

それは私たちが無意識のうちに、「競争から降りること(Missing Out)」を「喜び(Joy)」に変える生き方を求めているからではないでしょうか。
「制御不能な世界情勢」や「他人のキラキラしたSNS」に心をすり減らすのではなく、「自分の手の届く範囲の日常」を愛する。
それこそが、最強のJOMOの実践と言えるかもしれません。

4. まとめ:デジタル社会で「自分」を取り戻すために

今回の哲学カフェを通じて見えてきたのは、FOMOは決して「悪いこと」だけではないという事実です。
社会と繋がりたいという欲求も、成長したいという意欲も、人間として自然な感情です。

しかし、それが過剰になり、自分自身を追い詰めてしまっては本末転倒です。
もしあなたが今、スマホを見ながら得体の知れない焦りを感じているなら、一度立ち止まって自分に問いかけてみてください。

【あなたのFOMOタイプ別・処方箋】
  • 世界から遅れるのが怖い人:
    「1日ニュースを見なくても世界は終わらない」と知り、あえて情報を遮断する日を作ってみる。
  • キャリアの焦りがある人:
    その勉強は「不安」から来ているのか、「好奇心」から来ているのかを点検する。
  • ただの暇つぶし(ドーパミン)の人:
    スマホ以外の「没頭できる趣味」や「ボーッとする時間」を意図的にスケジュールに入れる。

次回の哲学カフェでも、こうした正解のない問いについて、膝を突き合わせて語り合いたいと思います。
「自分だけが悩んでいるわけじゃない」と知るだけで、心は少し軽くなります。
ぜひ、あなたのもやもやを持ち寄りに来てください。