私たちは日々、多くの人と関わりながら生きています。家族、友人、恋人、職場の同僚…。 新しく始まる関係もあれば、残念ながら終わってしまう関係もあります。
そんな中で、「この人との関係を、大切に続けていきたい」と感じる相手がいるのは、とても幸せなことです。 では、その「関係を続けるために本当に大切なこと」とは、一体何なのでしょうか?
今回は、まさにこの問いがテーマとして取り上げられました。 「信頼」「距離感」「自己開示」「心理的安全性」…。 参加者の皆さんから出た多様な視点と、そこから深まっていった対話の様子を、開催報告としてお届けします。
「関係を続ける」とは? – 朝活哲学カフェで出た「定義」
今回の哲学カフェは、「関係を続けるために一番大切なことは?」という、参加者の方が持ってきてくださった問いから始まりました。 この問いは、あまりにも身近で、そして深く、誰もが一度は考えたことがあるテーマではないでしょうか。
最初に出たのは「信頼」というキーワードでした。しかし、対話はすぐに「そもそも『関係を続ける』とはどういう状態か?」という、より本質的な問いへと進んでいきます。
「切る」選択肢と「続けたい」意思
「そもそも、『この人と一緒にいたくないな』と思ったら、切ればいいわけですよね」
ある参加者からの率直な意見に、皆がハッとさせられます。 確かに、現代社会において、私たちは関係性を「選ぶ」自由を持っています。仕事上の利害関係が絡む場合は別かもしれませんが、プライベートな人間関係(友情、恋愛、家族)において、無理に続ける必要はありません。
「だとすると、この話は終わっちゃいますね(笑)」 「あ、そっか。だから、この問いの前提は『自分が一緒にいたい、続けたいと思う関係を続けるためには』ということですね!」
この定義づけが、この日の対話のコンパスとなりました。 私たちは「あらゆる関係」ではなく、「自分が主体的に選び、育んでいきたいと願う関係」について話している。この共通認識が生まれたことで、対話の解像度がぐっと上がりました。
物理的な距離と「信頼」
では、「続けたい関係」とは具体的にどんな状態でしょうか。 最初に出た「信頼」という言葉を、参加者の一人がこう深めてくれました。
「私にとって『関係が続いている』とは、ずっと一緒にいることとは限らないんです。 例えば、引っ越しで物理的な距離が離れたら関係が終わる、ということではなくて。 たとえそばにいなくても、お互いを信じている。いつでも声をかけられるし、かけてもらえる。助けられるし、助けてもらえる。そういう信頼関係こそが、関係が続いている証拠だと思います」
「密になりすぎない、適切な距離感」とも言い換えられるかもしれません。 そばにいるから良い関係、というわけではない。 物理的な距離や会う頻度を超えて存在する「信頼」。これが一つ目の大きなキーワードとなりました。
関係を続けるための3つの柱:「自己開示」「属人性」「心理的安全性」
対話が進むにつれ、この「信頼」を構成する要素として、いくつかの重要な概念が浮かび上がってきました。 特に中心となったのが、「自己開示」「属人性」「心理的安全性」という3つの柱です。
どこまで話す? 「自己開示」の量と質
「長く続いている関係性を考えると、どこまでの情報共有をしているか、が違う気がします」
例えば、自分のプライベートな深い話。家族とのこと、恋人とのこと…。 そうした「自己開示」ができる相手かどうか。そして、自分も相手にどこまで開示できるか。
「自分が20%しか開示していないのに、相手が80%の情報をくれるわけがないですよね。 『彼女がいます』という情報だけの人と、『彼女は北海道出身で、こういうことがあって…』と深いところまで話せる人では、関係性が違う」
この「自己開示のレベル」という視点に、別の参加者から鋭い問いが投げかけられます。
「でも、それって『量』なんでしょうか? 私は、自分のことを1から100まで全部知っている人って、多分誰もいないと思うんです。 でもそれは隠しているわけじゃなくて、友人Aにはこの話、Bにはこの話、と話していることが違うだけ。 もしかしたら、量よりも『質』が大事なんじゃないかと。 『今朝何を食べたか』という情報100個と、『親との間にこんな確執がある』という情報1個は、同等ではないはずです」
「ああ、それだ」と場が動きます。 「自分が出すことの負荷がかかる(=勇気がいる)情報を、どれだけ共有できているか。 それが、続けたい関係とそうでない関係の違いかもしれない」
単なる情報のパーセンテージではなく、その情報の「質」や「深さ」。 お互いにデリケートな部分を開示し合い、それを受け止め合えること。これが信頼の土台となるのかもしれません。
「この人しかいない」という感覚 – 経験の共有と属人性
次に出てきたのは「属人性」というキーワードです。
「長く続いている相手って、自分にとって『こいつって属人的だな。こいつしかいねえな』って思う人なんです。 でも、それは『依存』ではない。AさんにはAさんとしての属人性、BさんにはBさんとしての属人性がある。 その人にしかない何かを感じるから、関係が続く」
「その人にしかないもの」とは何でしょうか。 それは、その人のキャラクターかもしれませんし、あるいは「その人と共有してきた時間」や「一緒にした経験」かもしれません。
「一緒に旅行に行った、とか。そういう経験の共有が、属人的な要素になる気がします」 「経験はイコール情報だと思っています。一緒に遊んだ、ご飯を食べた、喧嘩した。そういう経験(情報)を共有していることが大事」
なるほど、と感じ入りました。 「自己開示」が言葉による情報の共有だとすれば、「経験の共有」は行動による情報の共有です。 共に過ごした時間、共に乗り越えた経験が、他ならぬ「あなた」と「私」の関係性を強固にし、「この人しかいない」という属人性を生み出していくのです。
不信感が生まれたら? 心理的安全性の保ち方
3つ目の柱は「心理的安全性」です。
「結局、安心できるかできないか、がすごく大きい。 少しでも不信感を抱いてしまったら、その関係性は、恋愛も友情も家族も、おしまいなんだろうなと思います」
では、どうすれば不信感を持たずにいられるのか。 「相手の状況を想像することが大切」という意見が出ましたが、すぐさま現実的な反論が。
「でも、長く付き合っていたら、どうしても不信感って出てきませんか? 一度も不信感を抱いたことがない、という人の方が稀だと思う。 大切なのは、不信感が生まれた時にどう対処するか、じゃないでしょうか」
これは非常に重要な視点です。 関係は常に順風満帆とは限りません。すれ違いや誤解も生まれます。 その時、どうするか。
「その時に、正直に『今、不信感がある』と伝えること。 人と向き合うのって、正直しんどいじゃないですか。でも、そこから逃げずに向き合わないと、信頼関係は築けない」
関係を続けるために大切なこと。それは、不信感をゼロにすることではなく、不信感が生まれた時にそれを乗り越えるための対話を諦めないこと。 それができる相手こそが、「心理的安全性が高い」相手だと言えるのでしょう。
EタイプとIタイプの違い? – 興味関心と対話の熱量
ここで、ある参加者からMBTI(性格診断)の視点が提示され、対話は新たな展開を見せます。
「私、E(外向型)なんですけど、深い話をしても、相手の深い話を聞いても、正直あんまり覚えてないんですよ(笑) だから『自己開示』って、自分の中ではあまり大事な要素じゃなくて。 それよりも、『相手が自分に興味を持ってくれている』『自分も相手に興味を持っている』という気持ちの方を重視しているかもしれません」
「けんちゃん」との再会 – 興味が続く関係
その方は、こんなエピソードを話してくれました。
「最近、幼馴染みの『けんちゃん』からインスタをフォローされたんです。 彼は両親の離婚や父親の会社の倒産で夜逃げ同然にいなくなってしまい、もう20年会っていませんでした。 でも、フォローしてきたってことは、『まだ今の自分に興味があるんだ』って思って。 こっちも『元気かな』とは考えていたから、今度20年ぶりに会うことになったんです」
なんとドラマチックな話でしょうか。 20年という時間を超えて二人を繋ぎ直したのは、お互いへの「興味・関心」でした。
「あの時やったよね、田んぼで殴り合ったよね、みたいな(笑) そういう『共感』や『経験の共有』をしたいのかもしれない」
自己開示(深い話)を重視するI(内向型)的な関係性と、興味関心や経験の共有(一緒に体験する)を重視するE(外向型)的な関係性。 どちらが正しいというわけではなく、人によって、あるいは関係性によって、重視するポイントが違うのかもしれません。
関係は「1対1」だけで決まらない – 周囲の環境という要因
対話が終盤に差し掛かった頃、さらに視野を広げる視点が提供されました。 それは、「関係は1対1だけで完結していない」という事実です。
「元カノと別れた後も、関係が続く人と続かない人がいますよね。 この差って何だろうと考えたんですが、周りとの関連があるんじゃないかと。 例えば、大学のサークルが同じだったりすると、周りのコミュニティがあるから、完全に切れない。それで友達関係が続く、みたいな」
「結婚」という枠組みと、コミュニティの力
この話は、「結婚」という制度にもつながります。
「恋愛だったら、喧嘩したらすぐに別れられる。 だけど結婚していたら、すぐには別れられない。 その『枠』があるからこそ、関係が続いて、そこで改善していく可能性がある。 『あの時、切らなくてよかったね』と思えるかもしれない」
結婚は、1対1の関係性だけでなく、お互いの家族や親戚といった、より広いコミュニティとのつながりを生み出します。 時にはそれがしがらみになることもありますが、同時に、何かあった時に周りが助けてくれる「セーフティネット」にもなり得ます。
「共通の敵」という皮肉なキーワードも出ましたが、それも「環境の共有」の一種です。 私たち二人の関係は、私たちを取り巻く環境(コミュニティ、制度、共通の目的や問題)によっても、強く支えられているのです。
まとめ:関係を続けるために、まず「自分」を知ること
さて、ここまで「信頼」「自己開示」「属人性」「心理的安全性」「興味関心」「周囲の環境」と、多くのキーワードが出てきました。
「もう、まとめられる気がしない(笑)」と誰かが言った時、本質的な発言が飛び出しました。
「いろいろ出ましたけど、まず『自分を知る』必要があるのかなと思いました。 自分が分からないと、自分がその人のことを好きなのか嫌いなのかも分からない。 関係性を選ぶことすらできない」
良いレンズと良いディスプレイ
この「自己理解」の重要性を、ある参加者が鮮やかな例えで表現してくれました。
「カメラのレンズ(相手を見る目)がいくら良くても、それを映し出すディスプレイ(自分自身)の画質が悪かったら、良いものもガビガビに見えてしまう。 まず自分自身の解像度を上げないと、相手のこともちゃんと見れない気がします」
なんと的確な表現でしょうか。
関係を続けるために大切なこと。 それは、相手に何かを求めること以上に、まず自分自身と向き合うことなのかもしれません。 自分が何を大切にし、どんな関係を「続けたい」と願っているのか。 自分はどんな時に安心し、どんな時に不信感を抱くのか。
そして最後に、シンプルですが最も重要なこと。 「私はあなたとの関係を続けたいですよ」という「意思」を、ちゃんと言葉や態度で示すこと。
今回の哲学カフェは、答えを一つに決める場所ではありません。 しかし、参加者一人ひとりが、自分の大切な人との関係性を見つめ直し、明日から何をすべきかのヒントを得られた、非常に濃密な時間となりました。
あなたにとって、「関係を続けるために大切なこと」は何ですか?

