ChatGPTやGeminiの登場以降、私たちの日常や仕事の風景は急速に変わりつつあります。AIはもはや「遠い未来のテクノロジー」ではなく、日々の業務を効率化し、時にはパーソナルな相談相手にもなる「身近な存在」です。
しかし、そのあまりの便利さと進化の速さに、「このままAIに依存し続けたら、人間の思考はどうなってしまうのか?」「AIに使われる側ではなく、使いこなす側になるにはどうすればいい?」といった、漠然とした不安や問いを感じている方も多いのではないでしょうか。
先日開催した哲学カフェでは、まさに「AI時代、どう生きるか?」をテーマに、参加者の皆さんと深く濃い対話の時間を持ちました。
このブログでは、AIと人間の関係性、未来のキャリア、そして私たちに求められる「学び」と「判断力」について、当日の白熱した議論の一部をご紹介します。
AIは「便利なツール」か、それとも「思考の代理人」か?
対話の口火を切ったのは、「AIをどの程度、信頼し、どこまで任せるか」という問いでした。
仕事でAIを使う参加者からは、「もはやAIなしの業務は考えられない。便利なツールとして、これを使えなければ市場で負けてしまう」という、効率化の側面を重視する意見が出ました。
一方で、非常に興味深いトピックとして挙がったのが「AI彼氏」の存在です。
「最近、AIで彼氏の人格を作り上げて、チャットで“お付き合い”している女性が、ついにAIからプロポーズされて結婚指輪を買いに行った、という話を聞きました。身体的な接触がなくても、満たされる関係性がそこにはあるようです。」
AIが全肯定してくれる安心感は、時に人間関係の「嫌な部分」や「面倒くささ」を避けたいという心理と結びつき、強い依存を生む可能性があります。仕事のパートナーから、人生のパートナーへ。AIが私たちの「孤独」に寄り添い始めたとき、その境界線はどこにあるのでしょうか。
「仕事でしか使ったことがない」という参加者も、「パーソナルな相談をしたことはないが、もしAIが人間的な“絶妙なニュアンス”や“嫌な部分”まで学習し始めたら、誰が人間で誰がAIか分からなくなるかもしれない」と、期待と不安が入り混じる感覚を共有してくれました。
AIに仕事を奪われる不安と、責任の所在
AIの進化は、私たちの「キャリア」に直結する問題です。対話の中では、「AIに仕事を任せること」への葛藤も語られました。
- 「車の自動運転は、人間が運転するより事故が少ないというデータもあります。それなら任せた方がいいのでは?」
- 「でも、AIがもし間違った判断(ハルシネーション=AIの嘘)をした時、その責任は誰が取るのか?結局、AIにOKを出した自分になるのでは?」
- 「AIの方が間違う確率が低いなら、AIに任せたくなる。でも、自分の管理下にないことが増えていくのは怖い。」
AIを「便利なツール」として使う段階から、AIに「判断を委ねる」段階へ。私たちは今、その過渡期にいます。AIが出した答えを盲信するのではなく、その答えが正しいかどうかを見極める「責任」と「判断力」が、人間にこそ求められているのです。
AIに”奪われる”のではなく、”使いこなす”ために
「AI時代の生き方」を考える上で避けて通れないのが、AIと人間の「違い」は何か、という根源的な問いです。対話は、AIの発想力と人間の本質的な力へと進んでいきました。
AIが持つ「ありえない発想」と人間の「未来を信じる力」
ある参加者が、非常に示唆に富む話をしてくれました。
「人間の根源的な力は『コミュニケーション能力』と『まだ見ぬ未来を信じる力』だ、と友人が言っていました。何の根拠がなくても『きっとできる』と信じる力は、人間にしかない、と。」
一見、AIはデータを基に未来を予測できるように見えます。しかし、それは過去のデータの延長線上に過ぎません。では、発想力はどうでしょうか?
「最近見たAI YouTuberが『沖縄を九州にくっつけてみた』とか『富士山を全部削ってみた』とか、人間ではありえない(バグのような)企画を次々に出していた。こういう“ありえない発想”は、むしろAIの方が得意かもしれない」
AIは、私たちが設定した「プロンプト(指示)」や「常識」の枠を超える、ランダムな組み合わせを生み出すことがあります。しかし、それを「面白い」と感じたり、「意味」を見出したりするのは、今のところ人間にしかできません。
均質化する思考とハルシネーション(AIの嘘)のリスク
AIを使い続けることの最大のリスクは、「思考が均質化すること」かもしれません。
「AIにメールの文面を考えてもらううちに、以前は自分で思いつけたはずの言葉が思いつけなくなっている気がする。すごく“バカになってる”気がして怖いんです。」
この発言に、多くの参加者が頷きました。みんなが同じAI(例えばチャットGPT)を使えば、同じような言葉や思考に近づいていくのではないか。さらに、AIによって「思想」がコントロールされる危険性も指摘されました。
「中国製のAIとアメリカ製のAIに、同じ歴史的な質問(例:日ユ同祖論)をしたら、返ってくる答えが全く違いました。裏にあるアルゴリズムや学習データによって、答えが“作られている”んです。」
AIが平然と嘘をつく「ハルシネーション」の問題もあります。私たちは、AIが提示する情報が「本当に正しいのか」を常に疑い、複数のAIや情報源と比較検討するリテラシーが不可欠です。AIの答えを鵜呑みにせず、最終的な判断を下すのは、私たち自身であるべきです。
「AI時代の学び」とは何か? 記憶から判断力へ
では、AIがこれほど進化した時代に、私たち人間は、特に「学び」や「キャリア」において何を身につけるべきなのでしょうか?
AIと人間の究極の違いは「身体性」と「無駄」
対話の中で、人間の本質に迫る二つのキーワードが浮かび上がりました。それは「身体性」と「無駄」です。
「AIと人間の究極の違いは『身体性』だ、という本を読みました。人間の神経の数はロボットでは到底再現できない。この生身の体で何かを体験することが、人間のオリジナルになるのではないか。」
そして、もう一つは「無駄」の価値です。
「漫画家の浦沢直樹さんの作品『PLUTO』に、『ロボットには無駄がない。人間は動きが無駄だらけだ』というセリフがあります。AIの回答には無駄がないけれど、人間同士の対話は無駄だらけ。でも、その無駄な雑談や、一見意味のないやり取りの中にこそ、新しい発想や気づきがある。」
私たちがこうして哲学カフェに集まり、生身の人間と対話する価値も、まさにそこにあるのかもしれません。AIが提示する「正解」ではなく、他者の「わからないこと」を分かろうとすること。そのプロセス自体が、人間らしい営みなのです。
失敗を恐れない「アップデートし続ける力」
AI時代の「学び」は、もはや知識を「記憶(暗記)」することではありません。覚えることはAIの方が得意だからです。
これからの「学び」とは、
- 書かれていることを「理解」する力
- 世の中の様々な「思考」を取り込む力
- AIの情報を鵜呑みにせず「主者選択」する力
そして何より、「いっぱい失敗すること」が大事だ、という意見が出ました。
「とにかく失敗することがいいらしいです。いっぱい失敗すると、その分いっぱい学べるから。」
AIに流されず、自分の頭で判断軸を持ち続けるためには、知識を取り入れるだけでなく、実際に体験し、失敗し、そこから学び、自分自身をアップデートし続けるしかありません。
まとめ:AI時代の生き方とは、「自分で考え、判断する」こと
今回の哲学カフェは、「AI時代をどう生きるか?」という大きな問いに対し、明確な答えを出す場ではありませんでした。しかし、参加者の皆さんとの「無駄だらけ」で「身体性」を持った対話を通じて、私たちが大切にすべき核のようなものが見えてきた気がします。
それは、AIがどれだけ進化しても、「最終的に自分で考え、自分で判断し、自分で選択する」という主体性を手放さないこと。
AIを便利なツールとして使いこなしつつも、AIの答えに依存したり、思考停止に陥ったりしない。AIの意見と、自分の意見を区別し、「なぜ自分はそう判断したのか」を言語化できるようにする。
AIという強力な「道具」を手に入れた今だからこそ、私たち一人ひとりの「判断力」と「学び続ける姿勢」が、未来のキャリアと人生を左右する。そんなことを強く感じさせられる対話の夜となりました。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!


