先日開催されたディスカッションイベントでは、「宿命と運命」という、誰もが一度は考えたことのある深遠なテーマについて熱い議論が交わされました。変えられない定めと、自らの手で切り開く未来。私たちは自身の人生をどう捉え、どう歩んでいけば良いのでしょうか。白熱した議論から見えてきた、「運」を味方につけるためのヒントをお届けします。
宿命と運命、その違いから見えた「私たちが向き合うべきもの」
議論はまず、「宿命」と「運命」の言葉の定義から始まりました。似ているようで、実は大きな違いがあるこの二つの言葉。参加者の間でも様々な意見が飛び交いました。
最終的に、チャットGPTの力も借りつつ、私たちは以下のように定義を共有しました。
- 宿命:生まれたときから決まっている、自分の意志では変えられないもの。(例:親、生まれた国や時代、性別など)
 - 運命:自分の行動や選択によって、未来が変化する可能性のあるもの。
 
「親や国籍は選べない。これはまさに宿命だね」「じゃあ、議論すべきは変えられる可能性のある『運命』の方じゃないか?」という意見で一致。変えられないものを嘆くのではなく、これから私たちがどう行動していくかという、よりポジティブで能動的な「運命」に焦点を当てて、議論はさらに深まっていきました。
「運命」をどう捉える? ポジティブな原動力か、諦めの言い訳か
「運命」という言葉を、皆さんはどのように捉えていますか? イベントでは、この言葉に対するイメージが人によって大きく異なることが浮き彫りになりました。
都合のいい言葉としての「運命」
ある参加者からは、「運命という言葉は、良くも悪くも都合よく使われることがある」という鋭い指摘がありました。
例えば、何かを成し遂げた時には「これは運命だったんだ!」と成功を確信に変え、逆にうまくいかなかった時には「こうなる運命だったから仕方ない」と諦めるための言い訳にしてしまう。まさに、自分の行動を正当化するための便利な言葉として使われる側面です。
「変えられるはずのものなのに、運命を理由に行動しない人もいる。それは少し勿体ない気がする」という意見には、多くの参加者が頷いていました。
「運命なんてない」―行動が未来を創るという考え方
一方で、「そもそも運命なんて存在しない」と考える参加者もいました。
「過去を振り返って『あれが運命の分かれ道だった』とも思わないし、未来に『こうなる運命なんだろうな』とも思わない。全ては自分の選択の結果です」
この意見の背景には、留学や転職など、自らの意志で環境を変え、人生を切り開いてきた経験がありました。自分で考え、行動し、道を切り開いてきた人ほど、「運命」という不確かなものに頼るのではなく、自分の力を信じる傾向が強いのかもしれません。自分で人生をコントロールしているという自信が、そう思わせるのでしょう。
幸運は偶然か、必然か?「運」の正体に迫る
「運命」の話は、やがて「運」そのものの正体を探る議論へと発展しました。「あなたは運がいいですか?」と問われたら、どう答えるでしょうか。
運は人が「運んで」くるもの
「運は偶然ではなく必然だ」と語った参加者の言葉が印象的でした。
「『運』という字は、『運ぶ』と書きますよね。運は、人が運んできてくれるものだと思うんです。だから、自分の周りの人間関係をどう築いていくかで、運は決まってくる」
例えば、あるビジネスで成功した人が「運が良かったね」と言われることがありますが、それは決して偶然のラッキーではありません。そのビジネスチャンスの情報が入ってくるような人間関係、そして協力してくれる仲間との関係を日頃から築いていたからこそ掴めた「必然」の結果なのです。
ある参加者は、鉄道が好きで知識を蓄え、様々な場所へ足を運んでいた経験が、巡り巡って鉄道工事の仕事に就くという夢に繋がったエピソードを語ってくれました。これもまた、過去の積み重ねが未来の「運」を運んできた、と言えるのではないでしょうか。
運を掴む鍵は「試行回数」にあった
では、どうすれば良い運を引き寄せられるのでしょうか。ある参加者が紹介してくれた書籍『ユルストイック』の考え方が、一つの答えを示してくれました。
「今の世界は、何がヒットして何が失敗するかなんて、誰にも分からない『運』が左右する世界。そんな世界で成功確率を上げる方法はただ一つ、試行回数を増やすことだけだ」
サイコロを1回だけ振って「6」を出すのは難しいですが、100回振れば「6」が出る確率は格段に上がります。現代は、昔と違って低リスクで何度でも挑戦できる時代です。とにかく行動の数をこなし、サイコロを振り続けることが重要なのです。
AIのコミュニティで出会ったという社長のエピソードも、この考えを裏付けていました。
その社長は、AIの知識は全くないにも関わらず、AIを使える人と繋がるためにコミュニティに参加。様々な業界の人から悩みを聞き出し、それを解決するための事業アイデアを次々と生み出しては、「どれが当たるか分からないから、全部やりましょう!」と実行に移していくそうです。
悩みの数だけビジネスチャンスがある。そのチャンスをものにするかどうかは、結局、どれだけ行動できるかにかかっている。この話から、私たちは「運」とは待つものではなく、自ら掴みに行くものであることを学びました。
他人の選択とどう向き合う?―「水辺の馬」が教えてくれたこと
議論はさらに、「『運が悪いから』と物事を諦めてしまう人が身近にいたら、どう接するか?」という、人間関係に踏み込んだテーマに移りました。
基本は「個人の自由」。でも、大切な人なら…
「それはその人の人生だから」「好きにすればいい」と、基本的には個人の選択を尊重するという意見が大半でした。他人の人生をコントロールしようとすることは、お互いにとって負担になるだけです。
しかし、それが家族や親友といった、自分にとって本当に大切な人だったらどうでしょうか。「そんなこと言わないで、頑張ろうよ」と声をかけたくなるのが人情でしょう。
ネガティブな思考に陥っている人に対しては、言葉で説得するよりも、環境や習慣を変える手助けが有効だという意見が出ました。例えば、静かな場所に引っ越す、強制的に運動する習慣を作る、ネガティブな情報源から距離を置かせる、などです。しかし、それも簡単なことではありません。
水を飲むかどうかは、馬次第
ここで、ある参加者が素敵な比喩を教えてくれました。
「喉が渇いている馬を、水辺まで連れて行くことはできる。でも、水を飲むかどうかは馬次第で、無理やり飲ませることはできない」
私たちは、良かれと思って「こっちに水があるよ」と手を差し伸べることができます。しかし、それが相手にとって本当に必要な「水」なのか、そしてそれを「飲む」という最後の決断をするのは、本人以外にありえません。時には、相手の選択を信じて見守ることも、優しさの一つの形なのかもしれません。
手助けと押し付けは紙一重。その境界線の難しさを、私たちは改めて考えさせられました。
結論:「運命」とは、選んだ道を「正解」にする力
今回の哲学カフェでは、私たちは「運命とは何か」という問いに対する一つの結論にたどり着きました。
結局のところ、どの道を選べば正解、という絶対的なものは存在しないのです。独立して成功する人生も、会社員として幸せに暮らす人生も、どちらも等しく尊い。周りがどう評価するかではなく、本人が幸せだと感じられるかどうかが全てです。
重要なのは、「自分の選択を、後から振り返った時に『これで良かった』と思えるように、今を懸命に生きること」。つまり、運命とは与えられるものではなく、自らの手で「正解」にしていくものなのです。
そして、その自分なりの「正解」を見つけるためには、何よりもまず「自分自身を深く知ること」が不可欠です。自分が何を大切にし、何を幸せだと感じるのか。その軸がなければ、他人の価値観に振り回され、自分だけの運命を切り開くことはできません。
今回のイベントは、「運命」という壮大なテーマを通して、最終的には「自分自身とどう向き合うか」という、最も身近で重要な問いに立ち返る、非常に有意義な時間となりました。あなたの「運命」は、あなたの手の中にあります。さあ、あなたはこれから、どんな物語を紡いでいきますか?